左からMatsu、USA、Ryuzy、Nori(DJ DARUMA)、Jommy、Makidai、Masah。
© JOMMY
ダンス

第一回 EXILE MAKIDAI|東京ニュースクール:知られざるアンダーグラウンド

90年代のリバイバル現象久しく、時代の輪廻を感じる昨今。そんな90年代からおよそ00年代初頭にかけて、音楽やカルチャー、ファッション、そしてダンスが密接にリンクした「ニュースクール」と呼ばれる超重要な時代を、読者のみなさんはご存知だろうか?
Written by Red Bull Japan
読み終わるまで:17分Published on
リバイバルを目の当たりにして、90年代のニュースクールが現代に放つ意味は一体何だろうか?ストリートを理解する上で超重要なこの問いに関して、第一線で活躍するアーティストやキーパーソンの視点から全6回シリーズで掘り下げる。
ダンサーとして当時をリアルタイムに経験し、現在もストリートシーンに欠かせない存在となっているJOMMYをキュレーター&インタビュアーに迎え、すべてのカルチャーピープルへ贈るリアルなニュースクールストーリー。
第一回のゲストは、当時のヒップホップシーンの真っ只中でダンサー&DJとして活躍していたバリバリのニュースクーラー、EXILE MAKIDAI (PKCZ®)だ。
MAKIDAI & JOMMY

MAKIDAI & JOMMY

© Red Bull/UG

MAKIDAIのヒップホップヒストリー

JOMMY 今日はMAKIDAIに、ニュースクール時代のヒップホップとかDJ、ダンスのことにフォーカスして、EXILE以前のもっとコアでパーソナルなところを聞きたいと思っているんだけど、改めてこういう機会って貴重だよね。
まずは俺らの出会いのきっかけでいうと、お互い20歳そこそこくらいで出会ってるよね。その時のMAKIDAIの印象って背が高くて、ロングのドレッドで。カラダも大きいから、フォルムだったりダイナミックな人がクラブで踊ってんなぁ、みたいな。出会ったときはもう、MAKIDAIはダンサーとしてキャラクターが立ってた印象がある。その頃ダンサーとDJの二足のわらじを確立していた人ってあんまりいなくて、僕もMAKIDAIにヒップホップのコアな部分をすごく教えられて、ダンサーとしての自分にとっても大きな出会いだったなっていう。
…って前置き長くなっちゃったけど(笑)、MAKIDAIのヒップホップヒストリーってどういう感じで始まったのかな。
MAKIDAI そうだね、最初はまずZOOに憧れて、当時やってたDADAっていうテレビ番組を通じてダンスを知って、そこでかかっている曲を調べて買いに行ったりダンスを真似してみたり、っていうところから始まってる感じだね。最初は習うモノ(素材)もなかったから、当時のマライアキャリーのMVとかに出ていたレジェンドチーム、Elite ForceMisfitss※1を観て独学でやっていたね。
※1 どちらもヒップホップダンスを形作ったと言われるレジェンドダンスチーム
中学は野球をやってたし、3年間やりきるまでダンスに身を置けなかったんだけど、初めて人前で踊ったのが卒業式の時。初めて買ったCDで、GuyのHerっていう曲で踊ったのが最初。これが思いのほかハネちゃって、みんながレスポンスしてイエーイみたいな(笑)。踊りでドッカーンってなって、コレは自分に何かあるかもしれない、と思ったね。
ちょうどニュージャックスイングが日本に入ってきた頃だったんだけど、(80年代から続いた日本の)バンドブームの流れと入れ替わりで、Teddy Riley※2率いるニュージャックスイングが新しい音楽として入ってきた時代だね。MC Hammerとか、Bobby Brownとか。
※2 ニュージャックスイングの代表的なプロデューサー

踊る曲を自分たちで作りたくて、ヒップホップを知っていった

それから高校に入って、中目黒にZOOが教えているダンススタジオがあるってことを知って。まさか、あのDADAで観ていたご本人が教えてるなんて… あれ?本人だ!みたいな(笑)。それで16歳のときにHIROさんのクラスに通いだしたのが(HIROさんとの)出会いだね、初めての。
当時はまだまだダンスはコアなシーンだったし、スケーターもサーファーもチーマーも、文化が混在してる時代だったんだけど、その中でもダンスっていうのにグッとハマり始めたのがズースタに通い始めてからで、HIROさんはその頃のことをまだ覚えてくれている。初めてのチームはKojiさん※3の命名でUSK(Underground Street Kids)っていうチームで、初ステージはクラブチッタだったね。16歳の頃かな。
※3 伝説のハウスダンスチームRootsのメンバー
JOMMY USKは当時もう雑誌に載ってたし、MAKIDAIたちの存在は知ってたんだよね。1991年とか1992年くらいかな。歳は近いんだけど、ひと足早く表舞台で活躍していたダンサーのイメージがあるね。
MAKIDAI U-GEちゃん※4なんてDADAに出ていた当時は14歳くらいで、衝撃受けてたな。そのUSKで(川崎)ルフロンのコンテスト出たりとかして、その後To Flyっていうチームをやって、その頃にマッチャン※5に出会ってる。17〜19歳頃ですね。ヒップホップっていうよりまずダンスで、踊る曲を自分たちで作りたいってなってヒップホップを知っていった、っていう流れだね。それから94年にBABY NAIL※6を結成するまでちょっと時間があるんだけど、JOMMYともその頃出会ってるよね。
※4 Mo’ParadiseやJ.S.B. Undergroundで活躍するヒップホップダンス界の重要人物
※5 MATSU(EXILE)
※6 MATSU、USA、MAKIDAI、RYUZYの4人で活動していたヒップホップダンスチーム
JOMMY そうだね、BABY NAILやるかやらないかくらいで出会ってるよね。もうこっちは知っていたわけだけど。

「90年代って、ハウスとヒップホップがすごく近くに存在していた良き時代だった」

MAKIDAI 初めてニューヨークに行ったのもその年(94年)なんだけど、現地でいろんなライブだったりクラブでのダンスバトルを目の当たりにして、これはヤバい、みたいな。ちょうどBad Boy※7とかCraig Mackが全盛期で、クラブに行けばフロアで輪っかが何個も作られててさ。その中でもElite ForceとかMisfitssが目立ってて、他にもヤバいダンサーがゴロゴロ居て、とにかく音を聞いて踊っているなぁっていうのが衝撃的で。ダンスと音楽が同じストーリーで存在しているっていうか、リリックとかラップとかリズムのすべてにおいて、自分たちが聞き流している部分も全部踊っているっていうのが衝撃だったね。
※7 90年代に一世を風靡したレコードレーベル。Craig MackやNotorious B.I.G.(Biggie)を輩出した
JOMMY 俺の印象だと、当時のMAKIDAIって周りでヒップホップを誰よりも聴いていたと思うし、 ビートっていうよりもラップで音にハメる踊りがピカイチっていう印象なんだよね。きっとそいういう経験から来てるんだね。
MAKIDAI ヒップホップって、やっぱリズム自体はシンプルじゃん。それに加えてラップで踊るっていうコトに気づいたのが、ニューヨークでの経験だったかな。
逆に俺の印象だとJOMMYはハウスもヒップホップも踊れたイメージだよね。当時はヒップホップのクラブにCaleafとかPeter Paul※8とかが遊びに来ていたり、逆にヒップホップのレジェンドたちもハウスが踊れたりとか、そういう時代だったね。同じように東京でも、JOMMYたちって普段はハウスを踊るけどヒップホップも聴くしみたいな、俺らとショーするときはヒップホップ踊るみたいな。所変わればじゃないけど、ニューヨークと東京で同じようなことが同じ時間軸であったなぁって思うよね。90年代って、ハウスとヒップホップがすごく近くに存在していた良き時代だったよね。
※8 どちらもハウスダンスのオリジネーターであり、世界的なレジェンドダンサー

「やっぱ俺ヒップホップ好きだなぁ、って確信していった」

JOMMY その頃、MAKIDAIとはよく遊ぶようになってたんだけど、いよいよNYに留学するからしばらく帰ってこないって話を聞いたときのこと、すごく覚えてるよ。 せっかく仲良くなったのに、っていう寂しさと、MAKIDAIならダンスとかヒップホップ以外の文化もきっと学んできてくれるんだろうなっていう思いがあったね。
MAKIDAI 当時96年くらいかな。大学2年が終わったときに3年上がれるかって頃。ぶっちゃけ大学1年でダンスに没頭しすぎて単位一桁台とかだったから(笑)、これはヤバイってことで2年のときはかなり単位をまとめて取って、両親にお願いする環境をつくってからお願いしたんだよね。
もちろん当時すでにZOOのみなさんやTRFさんはメジャーで活躍されていたけど、まだまだ前例が少なかった時代。でも自分はどうしてもダンスとかDJでなんとか生きていきたいっていう思いが強くて。無鉄砲だったなって思うし、親には一生分の感謝を感じてる。
ニューヨークでは語学学校に通ってたんだけど、英語の勉強しながら家ではヒップホップをずっと聴いて、ダンスもどこかでプロになりたい思いがずっとあったね。四畳半くらいの小さな部屋にタンテとレコードと机とベッドでパツパツで(笑)。レコード屋にいくと、自ずとイベントとかライブのフライヤーがあるじゃない。それでQ-Tipとか、Jay-ZとかBiggieのライブとか見に行って、触れながらやっぱ俺ヒップホップ好きだなって確信していったね。
で、たまたま学校の友達がMisfitssのMarQuest※9の知り合いだったんだよね。マライアのEmotionのMVに出ている、自分にとっての大スターじゃないですか。頼んで紹介してもらって、スタジオで一緒に踊ったり、クラブに行ったりさせてもらった。
※9 前述のレジェンドチームMisfitssに所属する世界的なヒップホップダンサー

「ダンス界とかストリートに対して何か出来ることはないか、っていう思いがずっと繋がっている」

MarQuestはEXPGで特別講師としても教えてくれているんだけど、それも縁だなって感じるし、中学生当時にMVで観ていたレジェンドダンサーと20年後に中目黒で会うなんて、当時は思わないよね(笑)。それはやっぱりHIROさんがEXILEをやりながら、自分たちが通ってきたダンス界とかストリートに対して何か出来ることはないか、っていう思いがずっと繋がっているんだと思う。
学校はちゃんと卒業できたんだけど、親が一回ニューヨークに来てくれて、ストンプの舞台を一緒に見に行ったのね。そのときに親もこの子はダンス本当好きなんだなって気づいてくれたみたいで、自分もいつか仕事にしたいっていう想いがどんどん強くなってて。
日本に帰ってきたときに、昔からやってたBABY NAILのメンバーが迎え入れてくれてまた一緒に活動し始めたのも嬉しかったな。
そして97年、DADAで観ていた14歳のU-GEちゃんがそのまま成長して、Misiaさんのバックダンサーやらないかって誘いをくれたんだよね。「つつみ込むように」のMVで、Stezoさん、U-GEちゃん、Takuyaさん、Hyrosshi君※10と一緒に出させて頂いて、憧れていたマライアとダンサーの構図がようやく日本で形に出来た、みたいな感じはあったと思う。MVに出られたことが嬉しくて、実家で親にMV見せて、一瞬映るところで「コレ俺!」アピールみたいな(笑)。親はすごく喜んでくれた。そこからMisiaさんのツアーで踊りつつDJをやりつつ、Rather UniqueやHIP HOP JUNKEEZで踊りつつっていう生活だったかな。JOMMYとも結構遊ぶようになってたよね。
※10 いずれも日本のストリートダンスシーンにおける重要人物

DJ MAKIDAIとしての存在感

JOMMY 97年〜98年頃ってほぼ毎日一緒にいたもんね。DJ MAKIDAIとしての活動もレギュラー抱えてたよね。HarlemとかBed、横浜でも持ってたんじゃない?
MAKIDAI そうだね、一緒にヒップホップのMV観たり、レコード買いに行ったり、本当ほぼ毎日いたよね。もともと踊りと音楽は別物じゃないっていうのが根底にあったからね。ショーも自分が選曲してMIXしたもので踊りたかったしね。JOMMYも DARUMAもほぼ同世代でずっと遊んでたよね。音楽的にはその頃ってBoot Camp Clikが流行ってて、みんなで聴いてショーやったりして。
JOMMY MAKIDAIがニューヨークから持って帰ってくれた向こうのフレイバーに、みんなすごく影響を受けてたと思うんだよね。俺自身もレコードは買ってたけど、ヤバいヤツがあれば自分で買ってMAKIDAIに渡していたりとか。逆にMAKIDAIは毎回ショー用のMIXしてくれてたり、定期的にミックステープを作ってくれてたりとかしたよね。みんなのヒップホップ偏差値を確実に上げてくれていたと思うよ。より音楽が好きになったのって、DJ MAKIDAIがいたからだと思うし。
MAKIDAI Lost Boyzとか、Wu-Tang Clanとかもそうだけど、その軍団感っていうのがヒップホップっぽいなって思うんだよね。そんな感じでみんなで情報交換しながら楽しくやってた99年に、HIROさんからJ Soul Brothers※11に誘っていただく日が来るんだ。
※11 後にEXILEとなる初代J Soul Brothersを指す
左からMatsu、USA、Ryuzy、Nori(DJ DARUMA)、Jommy、Makidai、Masah。

98年当時のBABY NAIL & HIP HOP JUNKEEZの面々。

© JOMMY

ダンサー人生の分岐点と大決断

JOMMY 俺、MAKIDAIから電話きたのすげぇ覚えてるよ。昼間に電話かかってきてさ、HIROさんからJ Soul Brothersやるからって誘われたんだけどどう思う?って。MAKIDAIは俺らよりも意識として実は5年とか10年先を見ていたから、ちゃんとビジネスとして考えていたと思うんだよね。実際どう思う?って言われたけど、「やったほうがいいよ」ってもちろん返したし。今思えば、毎日一緒に遊んでいたMAKIDAIが筋として、仲間としてひと声かけてくれたってコトだったのかなと思う。
Misiaダンサーをやり始めた頃には、ダンスで食べて行こうっていうのは決めてたの?
MAKIDAI ダンスとDJを両方やりたいってのはずっとあったね。Misiaさんで一つの夢が叶って、もう一段階行きたいなって真剣に思っていたときに、ちょうどHIROさんに声をかけて頂いた、っていう感じかな。まだMisiaさんのツアーも残ってたし、J Soul Brothersをやるっていうことは大きな決断だった。
HIROさんからは、DJもやってるんだったら後々MIX出したりとか、DJとしての先々のことも考えているよって言って頂いて、やりたいことを辞めなきゃいけないわけじゃないんだって納得できた部分も大きかった。
まだJ Soul BrothersとかEXILEの初期の頃は、クラブで普通に遊んでたよね。AKIRA(EXILE)に会ったのもSIMOONだし。JOMMYも当時、既にDIESELにいたし、働きながらダンスも続けてDJもやってたし、勉強家だし、一緒にいたクルーの中で今でもリスペクトしている仲間だね。
JOMMY まぁ、今日はMAKIDAIの話だからさ(笑)。そうすると、MAKIDAIにとってのダンサー人生の分岐点はそこだったんだね。
MAKIDAI ダンサー人生の分岐点ね、1つ目はMisiaさんで初めてお仕事としてダンスに関われたことで、2つ目がJ Soul Brothersに加入したこと、そして3つ目が2015年にEXILEのパフォーマーを卒業したことかな。
JOMMY 福岡ドームの最終ライブ行かせてもらって、ストリートからの最終着地点があのドームっていうのはやっぱ感動したよね。
EXILEパフォーマーとしてのラストライブ(2015年)

EXILEパフォーマーとしてのラストライブ(2015年)

© LDH JAPAN

「軍団感っていうか、仲間感とかホーミー感って、ヒップホップにあると思うのね」

MAKIDAI BABY NAILから一緒にやってるUSAとマッチャンと3人でTシャツになってるとか不思議だったよね。10代で強烈にダンスとヒップホップに影響を受けて時間を共有した仲間たちが、今でもなんだかんだで一緒に集まってきて、忘年会で一緒にいたりとかさ。ダンスとかヒップホップが無かったらHIROさんとも出会ってないし、いろんな出会いをくれたありがたい存在だね。
JOMMY 当時みんなでLostboyzのビデオ観ながらさ、幼馴染な頃から仲間と一緒に音楽やってるのっていいね〜なんて話していたけど、形は違えど今こうやって歳を重ねても一緒に仕事できているって素晴らしいよね。
MAKIDAI とにかく若い頃ずっと一緒にいて、しばらくそれぞれの活動が続いて、巡り巡っていまこうして一緒に居られるみたいなのって、リアルな人生だなって思うよね。
軍団感っていうか、仲間感とかホーミー感って、ヒップホップにあると思うのね。JOMMYもマッチャンもUSAも今も変わらない仲間で、ハートとか気持ちが共有できている部分があるなって。それがあるから継続できているっていうところがある。
左上から時計回りにHIGUCHI、MATSU、MAKIDAI、JOMMY、NORY(DJ DARUMA)、RYUZY

こちらも97年〜98年当時の写真。渋谷の国道246号線は、いまでも面影が残る。

© JOMMY

JOMMY そういう意味でのヒーローって、どのへんになってくるの?
MAKIDAI 超憧れたのはやっぱりBoot Camp Clikかなぁ、Black Moonがいて、Smif N Wessonがいて、Helter Skelterがいて、O.G.Cがいて、、みたいな。あの軍団感がEXILE TRIBEに近いかなって。例えばHIROさんがBuckshotだとしたら、BABY NAILがSmif N Wessonで、みたいな。今のLDHが新しい仲間をリスペクトして受け入れていくみたいな動きって、彼らがやってたことのファミリー感的なスピリットから来てるんじゃないかなって思う。
個々のヒーローで言えばやっぱりBiggieもヤバかったし、Jay-ZもMethod Manもヤバかった。アポロシアターでJay-Zのライブを観に行ったときに、前座のAkinayleを自分の時間をあげてJay-Zがメインタイムにもう一回呼び戻したことがあってさ。そこからBiggieが七分丈とティンバー履いて出てきてBrooklyn Finestを演ってうぉー!みたいな。ヒップホップってビーフ※12とかもあるけど、ああいう人がいて若い世代にチャンスをあげているのをみたときに、あぁこの文化って素敵だなって改めて思ったね。
※12 クルーや個人どうしの争い。ときには商業的な目的のために発生することもある
この日はMAKIDAIが個人的に所有する当時のレコードも一部持ってきてくれた。

この日はMAKIDAIが個人的に所有する当時のレコードも一部持ってきてくれた。

© Red Bull/UG

JOMMY Biggieなんてもう亡くなっちゃってるわけだし、その時代をリアルタイムで体感している日本人ってすごく少ないよね。
MAKIDAI 俺としては一緒にその時代を生きてきたつもりだし、今のアウトプットだけで(自分を)知られている部分に比べて、そういう過去のコアな部分をだんだん世の中に伝えていかないとなって思ってたから、今日みたいな機会ってすごくありがたいんだよね。
JOMMY MAKIDAIが本当に経験してきたことや体感してきたことを伝える機会が少なくなっているのって、MAKIDAIのコアな部分を知っている僕らとしてはもったいないし、一人でも多くの人に伝えていきたいなって思うよね。
97〜98年ごろのDJ MAKIDAI。左でマイクを握るのがGuru (Gangstarr)という奇跡的な一枚。

97〜98年ごろのDJ MAKIDAI。左でマイクを握るのがGuru (Gangstarr)という奇跡的な一枚。

© JOMMY

「間違いなく今の自分を形成してくれているもの、それがニュースクール」

MAKIDAI ちょうど去年の年末に原点であるHarlemで久々にDJさせて頂いて、当時からお世話になっているKANGO君とかKOYA君とかには本当に感謝している。(EXILEのパフォーマーを引退して)ダンスを辞めたってわけじゃないけど、DJとして海外に行かせて頂いたりとか、それってすごく意味のあることな気がしていて。今日話したようなことの良さを少しずつ伝えていけたらなって思ってる。
JOMMY 最後に改めて聞くけど、MAKIDAIにとってのニュースクールってどんな存在?
MAKIDAI 今はオールドスクールになっちゃったかもしれないけど90年代の当時はすべてが最先端で、世の中の流れとも近くて、ちょうどバブリーな時期に当たっていたりとか、ブラック系のアーティストがパワーを蓄えはじめて、その後オバマさんが大統領になるとか、すごく大きな時代のムーブメントの一つだったんだなって思う。
あの90年代に感じたニュースクールの衝撃っていうのは、大げさだけど自分にとっては人生に一番大きな影響を与えてくれたもの。ヒップホップってジャズがルーツで、音楽として非常に自由度が高くて、あの爆発力があったから今があるって言える。それくらい、間違いなく今の自分を形成してくれているもの、それがニュースクールかな。
MAKIDAI & JOMMY

MAKIDAI & JOMMY

© Red Bull/UG