Peanut Butter WolfことChris Manakが運営するレーベル、Stones Throw Recordsが間もなく設立20周年を迎える。時の流れとはなんと早いものだろうと、改めて驚かされる。この20年近くの間、Stones Throwはアンダーグラウンド・ヒップホップ最良の作品と言われる数作をリリースしつつ、今も活発な活動を続けている名門インディペンデント・レーベルのひとつとして尊敬を集め続けている。そのレーベルの歩みと全貌については、かつて2013年に発表されたドキュメンタリー『Our Vinyl Weighs A Ton』を是非チェックしてもらいたいところだ。
アンダーグラウンド・ヒップホップの再定義と更新をたゆまず続けてきた彼らのレコードは、常に素晴らしいアートワークを纏ってきた。そこで、今回の『Under The Covers』シリーズでは、Stones Throw Recordsのアート・ディレクションを務めるJeff Jankにその創作の裏側にある数々のストーリーを訊いた。
Madlib & MF Doom – Madvillainy(2004年)
ある人物のイメージを定義付けようとトライした結果がこのアートワークさ
MF Doomという名前を聞いて多くの人々が思い浮かべるイメージは、やはりこの作品のアートワークだと思います。ただ単にマスクを被った男という外面的なものだけに留まらない、MF Doomというアーティストそのもののコンセプトを体現していますね。
Jeff Jank:このアートワークには、明確なアイディアがあったんだ。顔を中心に置いた、シンプルでポップなスタイルのアルバムカバーをやってみよう、ってね。最初はマスクをつけたイメージは思い描いていなくて、ただそこにひとりの男がいるだけ…というイメージだった。それから作業を進めていくにしたがってマスクをつけた男の写真が採用されることになったんだけど、これがどういう意味を持つのかと訊かれても、正直僕ら自身にもよくわからないんだよな。Doomっていうアーティストの存在は、とてもオブスキュアではっきりしないだろ。アーティスト写真もなければ、アルバムを出すごとに名義を変えるし、レコードもすぐ廃盤になって手に入りにくいしさ。DoomやMadlibは共にアンチ・ポップスター的な存在だし、アルバムの構成も独自のスタイルを貫いてる。わかりやすいフックもなく、ひたすらロウファイなビーツが刻まれるその作品は、オーディエンスに媚びようとするような態度とはまさに正反対のものだよ。でもそんな彼らのやり方は真実味に溢れていて、ナチュラルで、クールで、しかもソウルフルだ。このレコードのためのアートワークを作業している時、僕はすでに「これは僕自身にとっても最高傑作といえるアートワークになるぞ」って確信してたよ。ある人物のイメージを定義付けようとトライした結果がこのアートワークだと言えるね。
この写真を撮ったのは Eric Colemanで、ある日突然彼から「これから30分でそっちに行く」とだけ連絡が来て、それで撮影したんだ。最初にこのアートワークの作業を始めた時、オリジナルの写真素材が僕にはどうしても上手く扱えなくてさ。それまで、僕はこう思い込んでいたんだ。「最初に良い写真素材を撮影したなら、それは極力いじるべきではない」ってね。数ヶ月後、Doomが戻ってきて、僕の仕事場へ作業の進行具合を見にきたんだ。写真を使用するってアイディアに、Doomが首を縦に振るはずはないと分かってたから、あの日彼と一緒にBenがついてきてくれたことにこの上なく感謝しているよ。Benはアートワークのアイディアを即座に理解してくれた。使われている顔の写真のシンプルさ、そしてそこに潜むミステリーをね。Doomが全幅の信頼を置くBenが興味を示してくれたからこそ、DoomからのOKも貰えたんだ。
Quasimoto – The Unseen(2000年)
僕がこのスリーブを気に入っているのは、ヒップホップ的な伝統から完全に解き放たれて、逸脱しているからなんだ
黄色い「Load Quas」のキャラクターが初登場したのは、「Microphone Mathematics」という12インチでしたね。このキャラクターが生まれたきっかけ、そして彼がファーストアルバムに登場しなかった理由は?
MadlibにおけるQuasimotoのコンセプトをひとことで言うなら、知られざる独立した存在といったところかな。QuasimotoはあくまでもMadlib自身ではなく、かといって彼の別名義というわけでもない。明らかに単なるキャラクターじゃないんだ。文字通り「見えざる者」なのさ。そのファーストアルバムのタイトル『The Unseen』が示す通りにね。
12インチ「Microphone Mathematics」のスリーブの絵を描いたのはKeith(DJ Designとしても活動するKeith Griego)って奴で、彼とはこの頃(2000年前後)よくコラボレートしてたんだ。彼が描いた3体のふわふわしたキャラクターを指しながら、「ほら、これがMadlibで、これがWildchild。これがDJ Romeさ」って言ってたのをよく覚えてるよ。ひとしきり2人で笑ったよ。このアートワークは所謂ヒップホップ的な伝統から完全に解き放たれているし、大きく逸脱しているだろ? だからこの作品が気に入ってるんだ。このアルバムのアートワークに取りかかった時、僕はQuasimotoを車に乗った「見えざる実像」として表現しただけでなく、インナーのアートワークにはこのアルバム収録されている 「Bad Character」というトラックから触発された僕なりの奇妙なキャラクターを配置している。彼らがレンガで人を殴りつけたり、スカートを覗いたりしているのが見えるだろ。
このキャラクターをQuasimoto自身と同一化したのは、このアルバムを気に入ったファンたちなんだ。そこで、僕らもそのアイディアに乗っかることにしたのさ。セカンドアルバムの時点ではすでにこのキャラクターはQuasimotoということになっていて、Madlib自身もそのリリックの中でレンガを持つことに言及したくらいさ。QuasimotoはMadlibの創造物に違いないけど、ヴィジュアルがひとり歩きしていった過程は僕も気に入ってるんだ。これ以降も、Quasimotoは玩具になったり、趣味の悪いタトゥーになったり、インターネットを通じて広まったりしているし… たとえMadlibがQuasimotoについてラップしなくなったとしても、僕はQuasimotoを描き続けるつもりさ。
Karriem Riggins – Alone Together
これは数十年にも渡るソウル、ファンク、ジャズの歴史が生きたまま詰め込まれた音楽なんだ
このアートワークは明らかにジャズの金字塔レーベルのBlue Note、そしてBlue Note作品の数々を手掛けたデザイナーのReid Milesと、写真家であり、Blue Noteの財務担当マネージャーでもあったFrancis Wolffへのオマージュですね。この作品自体はかなりヘヴィーなインスト・ヒップホップ・アルバムですが、そこにこのアートワークにした理由は?
このアルバムにBlue Note調のデザインを施した理由は外からは見えにくいかもしれないけど、僕としてはむしろあからさまなくらいに分かりやすいものだ。Karriemはその実績も含めて、卓越した本物のジャズ・ドラマーなんだよ。なおかつ、彼は筋の通ったヒップホップ・プロデューサーでもある。Karriemはひとりのプロデューサーとして、自分だけの流儀ってやつをしっかり確立しているんだ。彼がサンプラーで創り出す音楽は、MadlibやJ Dillaといった偉大なアーティストたちとの共通点が多く確認できる。つまり、James BrownとClyde Stubblefieldの「Funky Drummer」以降の世代に生まれた現代のマシーンミュージックとは一線を画しているってことさ。Karriemの作品には数十年にも渡るソウル、ファンク、ジャズの歴史が同一のタイムライン上で繋がって、生きたまま詰め込まれている。
このアルバムカバーに関してはいくつか仕掛けがあってね。Karriemからは2枚の写真をきっちり全部使ってくれというリクエストがあった。そこで、僕はその2枚の写真を共にできるだけ分かりやすい形で使うことにした。ヴァイナルでは、このアルバムは2枚に分けてリリースされた。ドラムを叩いている彼の写真が使われているのが『Alone』で、サンプラーと共に撮った彼の写真が使われているのが『Together』さ。さらに言えば、僕は本家Blue Noteのアルバムカバーを手掛ける機会にも恵まれたんだ。そのうちの1枚には僕の名前がベーシストとしてもクレジットされているんだけどね(訳注:Madlibが2003年にBlue Noteよりリリースした『Shades Of Blue』。Jeff Jankはアートワークを担当しただけでなく、このアルバムに収録された「Song For My Father」でベースをプレイしている)。僕は正当な形でReid Milesの模倣をできる権利を得たってわけだ。
Silk Rhodes – Pains(2014年)
このバンドの連中はアシッド好きだから、このレコードを買ったみんなも同じようにアシッドを摂って聴いてみてよ
このアルバムのアートワークでアシッドのシート(訳注:LSD水溶液を染み込ませた紙片)を模した紙を採用した経緯は?
Stones Throwの全員が、彼らの「Pains」って曲に夢中になってね。Silk Rhodesの2人と契約してアルバムを出そうってことになったんだ。彼らは「Pains」のほかにも数曲のデモがあったし。それで彼らはStones Throwのオフィスに顔を出すようになって、一緒につるむ時間も増えていったんだけど、そこら中で吸いまくるし、思いっきりハイになってロビーで用を足したりしてもうメチャクチャなんだよ。ひとりは髭面のStevie Nicks(訳注:Fleetwood Macの女性ヴォーカリスト)みたいなルックスで、もうひとりは『Scooby Doo』に出てくるShaggy(訳注:アメリカの長寿アニメ番組およびその登場人物)を髭面にしたような感じさ。
2年近く経っても、依然として彼らは「Pains」と数曲のデモしか作れていない状況だったんだけど、なんとかアルバム1枚分が仕上がった。アートワークを担当したのは僕ではないんだけど、正直に言えば僕がやりたかったな。女の子の舌にアシッド・タブが載ってる写真が使われたアルバムカバーは僕も気に入ってる。「Pains」を7インチ・シングルでカットしようという話もあって、アルバムの前にリリースする予定になってたんだ。僕はアルバムカバーの写真からインスピレーションを得て、Silk Rhodesのロゴ入りのアシッド・シートをレコードのスリーブとして使ったんだ。このバンドの連中はアシッド好きだから、このレコードを買ったみんなも同じようにアシッドを摂って聴いてみてよ、って感じでね。
J Dilla – Donuts(2006年)
アルバムのリリース後、Dillaのファンたちがこのアルバムカバーを模した写真を撮っているのを目にするようになって、僕も好意的に受け止めるようになった
『Donuts』という名盤については、すでに多くの人々によって語り尽くされている印象もありますが、まだ明かされていない秘話はありますか? また、このアルバムカバーが生まれた経緯は?
『Donuts』のアルバムカバーを目にすると、いまだに後悔の念に襲われるんだ。写真はMEDの「Push」のPVのワンシーンのスチールに過ぎないし、他の手をやり尽くしてどうしようもなくなって結局このデザインに落ち着かざるをえなかったというのが正直なところなんだ。ただレコードショップの棚で目立たせるという理由だけで、退屈なヘルベチカの書体をカバー上部に使っているしさ。これまで手掛けた他のどのStones Throwのレコードよりも多くの労力を費やすべきだったんじゃないかと思ってる。結果としてこのレコードはとてもスペシャルな存在になったし、Stones Throwというレーベルを象徴する1枚にもなった。もちろん、Stones Throwの過去のカタログの中でもベストセラーとなった作品だよね。だけど、僕個人としては満足できる仕事ができなかった… そう思っていたんだけど、アルバムのリリース後、Dillaのファンたちがこのアルバムカバーを模した写真を撮っているのを目にするようになって、僕も好意的に受け止めるようになったんだ。彼らはDillaのリラックスした表情を捉えたこの写真とアルバムの内容そのものを愛してくれてるんだな、って思えたんだ。
The Stepkids – Shadows On Behalf
とても結束が強く、独自のヴィジョンを持ったグループだったから、クリエイティブな作業の中で、僕はアウトサイダーだった
Stones Throwとしてはこのようなミニマリスト的アプローチのデザインは異例にも思えますが、アルバムの内容は、シンプルなカバー・デザインとは裏腹にサイケデリックでグルーヴィなものですね。こうしたデザインと実際の音楽的内容の剥離は意図的なものだったのでしょうか?
そうだね。こういうアプローチはStepkidsのレコード全体に一貫している意図的なものなんだ。素晴らしいミュージシャン兼シンガーで、ソングライティングやスタジオエンジニアさえも同時にこなしてしまうこの3人のバンドは、ステージでは真っ白な服を身に纏って細かく決められたライティングのもとで演奏するんだ。この「Shadows On Behalf」は彼らのファーストシングルで、この後もう1枚シングルが出て、それからアルバムがリリースされた。この12インチ・シングルのカバーのアイディアは、彼らのライブと呼応すべく生まれたもので、まず最小限の要素からスタートして、カバーにはインクも使わない。そこから段々とビルドアップしていくという仕掛けさ。でも、そのシンプルな見た目とは裏腹に、制作プロセスは長くて困難なものだったな。僕らはEメールでやり取りしながら作業を進めていたんだけど、途中何度か理解の食い違いもあってね。彼らはとても結束が強く、独自のヴィジョンを持ったグループだったから、クリエイティブな作業において、僕はアウトサイダー的存在だった。彼らとしても、クリエイティブな部分に僕が入り込むのは、決して居心地の良いものではなかったと思う。
ここまで紹介してきた数々の作品にはそれぞれ異なる道のりがあり、そこに注がれた情熱の種類もそれぞれ異なる。様々な創造性を持った人々が様々な形で影響を与えているのが理解できるだろう。
この他のJeffが手掛けた作品については、彼のオンライン・ポートフォリオを チェック!