The weird-looking Lotus 88 F1 car
© Oli Pendrey
F1

F1史に残る奇想天外なマシンデザイン 7選

モータースポーツのマシンデザインは変化を続けているが、ひと昔前は奇妙な実験が繰り返されていた。F1サーキットを彩ってきた珍車の数々を紹介しよう。
Written by Eddy Lawrence
読み終わるまで:7分最終更新日:
F1には厳格なレギュレーションが存在し、現代の各チームはごくわずかなアドバンテージを見出そうとマシンの細部まで改良を重ねている。
しかし、F1が今日のような姿になる前は、型破りなマシンデザインの実験が毎シーズンのように見られたものだ。
そんな “F1大開拓時代を彩った7台の珍車を振り返ってみよう。
01

Tyrrell P34(1976年)

異形のF1マシン、Tyrrell P34には2つのユニークな特徴がある。
ひとつ目は、F1で実戦を走った史上唯一の6輪車であるということ。そして2つ目は、1970年代のアニメ『ピンク・パンサー』に登場するPanthermobileに影響を与えたということだ。
このデザインには、小型ホイールをフロントに4つ並べて従来のワイドタイヤと同様の接地面積を確保しつつ、空気抵抗を大幅に減らそうという狙いがあった。
ところが、全チームの中でこの小型フロントホイールを採用したのはTyrrellのみだったため、当時F1にタイヤを供給していたGoodyearは投資に対する見返りを疑問視し、1回のレースウィークで18本しか販売しなかった。
この結果、P34はタイヤ開発競争で遅れを取り、1977シーズン限りでお役御免となった。
Williamsが1981年にフロント2輪+リア4輪のWilliams FW07Dをテストするなど、他チームも6輪コンセプトを試したが、ホイール数戦争の勃発を恐れたFIAが1982シーズンから「ホイール数は4つまで」というルールを明文化した。
日本では「タイレル6輪」として親しまれたTyrrell P34
日本では「タイレル6輪」として親しまれたTyrrell P34
02

Tyrrell 025(1997年)

Tyrrellが1997シーズン用に投入した025は、通常のサーキットではごく普通のF1マシンだった。
しかし、最大限のダウンフォースが必要とされるモナコのようなツイスティなサーキットでは、コックピットの両側から斜めに生えるミニウイングが装着された。
現在、これらの支柱は、その効果よりも “Xウイング” というニックネームが与えられたその特徴的なルックスで記憶されている。 当時のファンからは冷笑されたが、他チームはその空力面の効果に着目し、このコンセプトの研究に取り組み始めた。
しかし、1997シーズン終盤までに、FIAは安全上の理由からこのテクノロジーを廃止へと追い込んだ。このままいけば、全チームがイオンキャノン砲付きXウイングを装備することになると恐れたのに違いない。
ヨス・フェルスタッペンがドライブしたTyrrell 025
ヨス・フェルスタッペンがドライブしたTyrrell 025
03

Ensign N179(1979年)

1970年代F1で存在感を示していたEnsignチームによる初めての大胆な実験は、別名 “チーズグレーター(チーズおろし器)” として知られている。
同じ愛称を持つ、ロンドンで2番目に高い超高層ビル「レドンホール・ビルディング」が完成するはるか前のことだ。
まるでスコップのような見た目のノーズには、巨大な3枚のラジエターが階段状に並べられていた
この異端なデザインはシャシーの空力にメリットをもたらしたが、美観的には褒められたものではなかった。事実、このN179というマシンはしばしば「史上最も醜いF1マシン」と呼ばれている。
しかし、我々の意見を言わせてもらえれば、世紀末を描くアニメ映画の違法デスレースのシーンで実存主義的アンチヒーローが駆るマシンのように見えるN179は、かなりクールなルックスだ。
1970年代後半屈指の珍車Ensign N179
1970年代後半屈指の珍車Ensign N179
04

Brabham BT46B “ファン・カー”(1978年)

比較的ルールが緩やかだった当時のCan-Amマシンにヒントを得たBrabham(当時のオーナーはバーニー・エクレストン)は、BT46の後部に巨大な “ファン” をマウントしており、このファンは、技術的ルールの穴をついて、マシンの底部から強制的に空気を引き抜いていた
「空力部品は可動してはならない」というルールに抵触しないように、このファンはエンジン冷却の改善を名目として装着されていた。
この機構はストレートスピードを犠牲にすることなく強大なダウンフォースをマシンにもたらしたのだが、チームはこの効果はあくまで「偶然」で、副次的効なものだと主張した。
1978シーズンのスウェーデンGPでこの “ファン・カー” ことBT46Bをドライブしたニキ・ラウダは、後続に30秒以上の大差をつけて優勝したが、この技術は速やかに違法と判断され、1戦限りで禁止された。そのグリップがドライバーに強烈な横方向のGフォースをもたらす危険性があったこともその理由のひとつだった。
ドライブしたラウダも、このマシンは肉体的にかなり疲弊させられると不満を述べ、その強大なグリップを「レールの上を走るようなもの」と例えた。
わずか1戦で姿を消した “ファン・カー”
わずか1戦で姿を消した “ファン・カー”
05

Lotus 88(1981年)

クリエイティブな設計思想の結晶と言えるLotus 88には、コックピットとサスペンションを受け持つモノコックを第2シャシーの可動式ボディワークですっぽりと覆ったツインシャシー構造が備えられていたため、ウイングを備えなくともトラクションを増大できた。
しかし、残念なことに88のオリジナルデザインが実戦を走ることはなかった。ライバルチームたちが「実質上、外部シャシーは巨大な可動空力デバイスにあたる」として一斉に抗議したからだ。
実に残念だ。レーシングマシンの設計で88がゲームチェンジャー的影響をもたらしていた可能性はさておき、無駄なウイングを省いたデザインはとにかく美しかったからだ。
1981シーズンのLotusはブラックのカラーリングを採用していたため、サーキットを走る姿は “アウトバーン版バットモービル” のように見えたはずだ。スポンサーロゴを取り除けばまさにそのものだっただろう。
コーリン・チャップマン最晩年の発明品Lotus 88
コーリン・チャップマン最晩年の発明品Lotus 88
06

Ligier JS5(1976年)

1970年代は自由奔放な時代だった。そしてFIAもその時代の流れを感じ取り、エアロダイナミクスの台頭への回答として、レーシングマシンデザインの “パンドラの箱” − あるいは旧約聖書の「契約の箱(Ark of the Covenant)」 − を開けた。
当時注目を集め始めたばかりだった風洞実験が生み出した最初の成果のひとつが、背の高いインダクションポッドだった。パフォーマンス的には、高い位置から空気を取り込めばさらに圧縮されるため(ラム圧効果)、エンジンはより高い馬力を発生できた。
そして、これらのデザイン思想は、実に1970年代らしい「過剰」に到達することになり、フランスの有力チームLigierが製作したJS5にはまるでスマーフの帽子のような巨大インダクションポッドが装着された。
最終的にこのデザインは1976シーズン序盤のルール変更に伴って禁止されるのだが、美観面よりも安全面を考慮しての禁止だった。
ロールバーよりもはるかに高い位置にあるインダクションポッドでは、マシンが横転した時にドライバーに破片が降りかかってしまう恐れがあった。
Ligierらしい曲線美を持つJS5
Ligierらしい曲線美を持つJS5
07

Arrows A22(2001年)

2001シーズンのモナコGPで投入されたArrows A22の新空力デバイスは、過去の劣悪なアイディアを焼き直そうという、大間違いにほぼ近い、大胆不敵な試みだった。
Arrowsのデザインチームは、1968シーズンを走ったBrabham BT26に触発されたハイマウントウイングを再現しようとしたのだが、第一次世界大戦期の複葉戦闘機Sopwith Camelからインスピレーションを得ていた可能性が高い。
その応用技術はルックスよりも洗練されていたが、過去に同様のコンセプトを採用したMcLaren M7C(別名「ギロチン」)などと同じく、A22もまたパフォーマンス上の重大な問題によって決勝レース出走を阻まれた。
予想できる人も多いはずだが、ドライバー目線の先に設置された大きなウイングは視界に悪影響を及ぼすのだ。
かつてのBrabhamやMcLarenの採用例に比べれば、Arrowsのそれは明らかにコンパクトだったが、FIAはそのコンセプトの全てを愚かだと断じ、決勝レース出走を許可しなかった。
Arrows A22もヨス・フェルスタッペンが乗った珍車
Arrows A22もヨス・フェルスタッペンが乗った珍車