アーケードゲーム誌『ゲーメスト』のSSR級誤植「インド人を右に」はなぜ生まれたのか?
© Munetatsu Matsui
ゲーム

アーケードゲーム誌『ゲーメスト』のSSR級誤植「インド人を右に」はなぜ生まれたのか?

発行元の新声社に在籍していた筆者が語る『ゲーメスト』の"名(?)誤植"の真実とは? 当時の雑誌編集の現場を振り返る!
Written by 松井ムネタツ
公開日:
筆者が「昔、『ゲーメスト』で働いていた」という話をすると、多くの人が「ああ、"インド人を右に"の!」というリアクションをする。
「インド人を右に」とは、アーケードゲーム誌『ゲーメスト』のとある記事に掲載された誤植のことである。
名(?)誤植として、ときどきネット上でも話題になるのでご存じの方も多いと思う。
そんな「インド人を右に」は、いかにして生まれたのか
当時、『ゲーメスト』発行元の新声社に在籍していた筆者が、その誤植の真実について語ってみたい……(そんな大げさなものではないが)。

◆『ゲーメスト』の生い立ち

いまでこそゲームメディアといえばWebが中心だが、1980年代から1990年代は"紙のゲーム雑誌"が非常に盛り上がっていた。
『ファミリーコンピュータマガジン』100万部発行したり、『ファミコン通信』(現:『ファミ通』)が週刊化したりと、紙のゲーム雑誌には勢いがあった。
「いまゲーム雑誌が儲かるっぽいぞ」と、小学館や集英社、講談社もテレビゲーム雑誌を創刊し、ゲームメディアは群雄割拠の時代を迎えることになる。
なお、『ゲーメスト』は、1986年から1999年まで新声社から発行されていたアーケードゲーム専門雑誌だ。
対戦格闘ブームのまっただ中なころの『ゲーメスト』。カプコン、SNK、ナムコなどの対戦格闘ゲームが表紙を飾った。
対戦格闘ブームのまっただ中なころの『ゲーメスト』。カプコン、SNK、ナムコなどの対戦格闘ゲームが表紙を飾った。
数あるゲーム雑誌の中でも"アーケードゲーム専門雑誌"という独自の立場を活かし、1991年に『ストリートファイターII』がゲームセンターに登場すると雑誌の認知度が一気に上昇。
1994年には月刊から月2回へと刊行ペースをアップし、対戦格闘ゲームを中心に攻略本をいくつも発行して、ゲーム雑誌ブームにうまく乗っかった形となった。
さらに、ゲームセンターで空前の対戦格闘ゲームブームが到来したことで、『バーチャファイター2』攻略本は累計100万部を超え、『ゲーメスト』は10、20、30万部と発行部数を伸ばし、その存在感と影響力を拡大していった。

◆『ゲーメスト』に誤植が多いワケ

筆者は1994年、26歳のときに『ゲーメスト』編集部へ入る。
ちょうど月刊から月2回刊行をスタートさせるタイミングで、「編集者が足らない」ということで友人から声をかけてもらった。
1995年ごろの筆者。求人誌『doda』に、新声社の求人情報を掲載するときに筆者がインタビューを受けた。
1995年ごろの筆者。求人誌『doda』に、新声社の求人情報を掲載するときに筆者がインタビューを受けた。
入社してまず驚いたのが、びっくりするほどのアナログな作業体制だったことだ。
原稿はすべて手書き、ゲーム画面撮影はカメラで直接モニターを撮影する形だったのである。
以前に筆者が勤めていた徳間書店インターメディアは、『ファミリーコンピュータマガジン』などを作っていた出版社なのだが、デジタル化に積極的だった。
原稿はすべてパソコン(もしくはワープロ)によるデータ入稿だし、ゲーム画面撮影も手軽に撮れるビデオプリンター等を積極的に取り入れていた。
DTP(デスクトップパブリッシング)化も早く、筆者も早い時期からワープロやパソコンで原稿を書いていた。
ところが、『ゲーメスト』はライター全員、手書き原稿なのである。しかも個性的な文字を書くライターが多く、その文章の解読には一定の慣れが必要だった。
たとえばコレ(下の写真)。
当時を思い出しながら、ライターの筆跡を筆者が再現。
当時を思い出しながら、ライターの筆跡を筆者が再現。
なんと書いてあるかわかるだろうか。
じつは「いろいろ」と書かれているのである。
当時の筆者は解読できなかったので、書いた本人に「これは何て書いてあるんですか?」と聞きにいった。
他のライターとゲーム談義をしているところを邪魔されたのが気に入らなかったのか、筆者のほうを面倒臭そうな目つきでチラリと見て、「どれ?」と原稿を僕から奪い取った。
「ここです」と教えると、そんなこともわからないのかよ、と言わんばかりに「"いろいろ"だよ、"いろいろ"」と教えてくれた。
それ以上は何も言わず、すぐに他のライターとの会話に戻ってしまった。
これはとんでもない編集部に来てしまったのではないか!? と震え上がった。
すっかりビビってしまい、しばらくはライターに直接話しかけることができなくなってしまったほどだ。
ただ、それと同時に「『ゲーメスト』と言えば誤植」と言われる原因もわかった気がした。
実際に『ゲーメスト』にあった誤植正しい文章
ザンギュラのウリアッ上ザンギエフのラリアット
大ピンチ大パンチ
大パンツ大パンチ
餓死伝説2餓狼伝説2
あたしのジョーあしたのジョー
このあたりは序の口で、毎号いくつ誤植があるのか数える気になれないほどあって、むしろそれが……まあ良くも悪くもではあるが、『ゲーメスト』の持ち味のひとつになっていたのである。
対戦格闘ブームにより『ゲーメスト』は大きく部数を伸ばすが、そのぶん誤植も……。写真は『餓狼伝説SPECIAL』。"餓死伝説"ではない。
対戦格闘ブームにより『ゲーメスト』は大きく部数を伸ばすが、そのぶん誤植も……。写真は『餓狼伝説SPECIAL』。"餓死伝説"ではない。
細かい印刷工程の説明は省くが、当時の『ゲーメスト』は完全にアナログな入稿体制だったので、ライターが書いた手書きの原稿は、まず印刷するための元になる"版下"を作る版下制作会社へ届ける。
原稿は写植オペレーターが入力して写植を作り、それを版下に貼り付けていくわけだが、ここで原稿の読み間違いが発生する。
オペレーターはゲームに詳しいわけではなく、解読不能だと「たぶんこうだろう」という文字をとりあえずいれてくる。
「オペレーターが解読不能だろう」という文字はあらかじめ編集側で読みやすい文字で赤字訂正しておけばいいのだが、その時間すらも厳しいスケジュールになってしまうことが多々あった。
スケジュールがそこそこ順調ならば、事前にしっかり編集がチェックし、読み間違いされてしまいそうな文字はしっかり書き直し、校正にもたっぷり時間を取ることができる。
しっかり校正すれば誤植はどんどん減っていくし、可能なかぎりゼロにできるのだが、いかんせん押せ押せ進行でしっかり見ている時間がない。
そんなのは言い訳でしかないのは十分承知の助なのだが、とにかく間に合わせないことには雑誌が出ない。
死にものぐるいでどうにか印刷所に入稿するも、結果的に校正する時間がどんどん減り、誤植が多数残ってしまう……というのが実情だった。
そこで筆者は、自分でできる範囲でデジタル改革を行った。
会社にノートPCを持ち込み(当時はエプソンの98互換機、PC-286 BOOKを所有してた)、自分の担当するライターの原稿は筆者自身がパソコンに入力、そのデータを版下制作会社に入稿するようにした。
オペレーターが入力するよりは、専門用語の読み間違いによる誤植は劇的に減る
しかもその場ですぐ「これ何て読むの?」と確認できる。さらにはライターにも恐る恐る「パソコンで書いてほしい」と伝え、デジタル入稿の普及を積極的に進めた。
徐々にライターもパソコンで書いてくれるようになり、"パソコンに詳しい編集者"と認識してもらって、ライターたちとも交流を深められるようになった。
よーし、これで誤植が減るぞ……と思っていたのだが、そうはならなかった。
今度は変換ミスが多発してしまう。デジタル入稿により「締切が延びるらしいぞ」ということを理解したライターは、締切ギリギリまで原稿を書かなくなった。
校正の時間を確保するために切り詰めたはずのデジタル革命なのに、結果的に校正の時間はこれまで同様ほとんどない状態になってしまった。

◆伝説の「インド人を右に」が生まれた瞬間

そんな中、『ゲーメスト』1997年4月30日号、No.193が発売される。
本コラムの題名にもした誤植「インド人を右に」が掲載された号だ。
『スカッドレース』というセガのレースゲームの攻略記事で、写真の説明文章が以下の写真のようになっていた。
ゲーメスト 1997年4月30日号の218ページに「インド人を右に」がある。
ゲーメスト 1997年4月30日号の218ページに「インド人を右に」がある。
「インド人を右に」とは何なのか。
本誤植をはじめて目にする人は、これの元原稿が何なのかがわからないかもしれない。
正しくは「ハンドルを右に」なのである。
本記事を担当していた編集者に当時の話を聞いてみたのだが、原因は(多少記憶は曖昧だが)キャプションを校了時に入れたせいだろう、とのことだった。
校了とは、本を印刷するまえの最後のチェック作業のこと。
ここで直さないともうそのまま本になってしまう。ただ校了はあくまで"最終確認"であって、ひととおり原稿も写真も入っていることが前提だ。
そのうえで色味の確認や、写真が正しい位置に入っているか、などの確認を行う。
ちなみに「インド人を右に」が掲載された、『ゲーメスト』 1997年4月30日号の表紙はカプコンの『ストリートファイターIII』だった。
ちなみに「インド人を右に」が掲載された、『ゲーメスト』 1997年4月30日号の表紙はカプコンの『ストリートファイターIII』だった。
ところが、締切をズルズルと伸ばせることを覚えてしまったライターは、「なんだ、○日まで大丈夫じゃないか」という甘い考えで本当のギリギリまで原稿をあげてこない。
このときの『スカッドレース』の記事は本文と写真はひととおり入っていたはずだが、写真の説明文章であるキャプションはすべて空欄だった。
ひとまず本文と写真は入稿したけど、「キャプションは校了で書けばいいかな」と考えていたようだ。たしかにそれで間に合うのだが、事故が起りやすい。そう、このときのように。
もちろん、空欄のまま本にするわけにはいかないので、この段階で原稿を添付する。
この記事の校了時は、手書きのキャプション原稿をライターが用意、それを校了紙に添付して印刷所に送った。
スケジュールの都合上、もう編集部でチェックすることはできない。
修正はすべて印刷所にお任せで、次に確認できるのは本として刷り上がってからである。
その結果、「インド人を右に」という誤植が爆誕した。
なぜ「ハンドル」「インド人」になったのだろうか。
その原稿を引き上げてちゃんと確認したわけではないが、おそらくこんな感じの筆跡だったのだろう。
筆者によるライター筆跡再現。「ハンドルを右に」がこのように書かれていたら……。
筆者によるライター筆跡再現。「ハンドルを右に」がこのように書かれていたら……。
読める
確かに「ハンドル」の部分が「インド人」に読める。
こりゃあ印刷所の人も「インド人」と読んでしまうのは仕方がない
かくして筆者のデジタル革命は、あっという間のスケジュール破綻により「誤植を減らす」という効果を発揮することはできずに終わった。
誤植に関してはゲームメーカーにもただならぬ迷惑をかけていたと思う。
菓子折持参なんてことも一度や二度じゃなかった気がする。
あのときもっとあーしていれば……なんて思うこともあるが、結果的にみんなの記憶に残る雑誌になったからいいか。
よくないけど。
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