Yaroslava Mahuchych seen during a training session in Monte Gordo, Portugal on June 9, 2025.
© Vadym Herasymenko/Red Bull Content Pool
陸上競技

ヤロスラワ・マフチク:頂点の先へ跳躍する走高跳世界女王のキャリア

ダンスと母国愛とともに走高跳の頂点に立つウクライナ人レッドブル・アスリートのキャリアを振り返る。
Written by Andriy Kostyuk and Maria Rydvan
読み終わるまで:10分Updated on
2024年パリのハイライトのひとつは、ほぼ世界中のメディアで取り上げられた若きアスリートの写真だった。
その写真の中で、次のアテンプトを控えた彼女は寝袋にくるまり、穏やかに居眠りしていた。彼女の髪は編み込まれ、自身のトレードマークであるブルーとイエローのアイライナーを纏っていた。その裏側で、ライバルたちは新たな高みを目指してウォーミングアップに勤しみ、その近くでは緊迫したハンマー投げ競技が繰り広げられていた。
しかし、彼女は気にかけていなかった。彼女は自分の強みに集中しつつ、同時にリラックスしていた。その数分後、彼女はこのスポーツの頂点で自身初の金メダルを手にした。ウクライナ出身アスリート、ヤロスラワ・マフチクがこの年のチャンピオンとなったことを、場内アナウンサーは恭しくスタジアム全体に伝えた。
過去1年間、マフチクの名前は世界のスポーツメディアで何度も取り上げられている。2024年6月、マフチクはヨーロッパチャンピオンの座に輝くと、続く7月には40年近く破られることのなかった走高跳世界記録を更新。今や世界中の走高跳アスリートたちがマフチクの打ち立てた2.10mを仰ぎ見ている。
マフチクのキャリアは、世界がかつて見たことのないほどの浮き沈みの連続だったようだ。19歳で2.01mを跳び、ジュニア新記録を樹立した彼女は、15歳のときにミンスクで自身初の国際イベントに出場した。
「あのときに “これが私の得意なことだ” と気づきました。これこそ私の好きなこと、私を幸せな気持ちにさせてくれることだと」と彼女は当時を回想する。
最近は、多忙なスケジュールの合間に休息を見つけることさえ難しくなっているが、それでもマフチクは歩みを止めるつもりはない。では、陸上の世界でまさに急上昇中のこのウクライナ人アスリートのこれまでのキャリアと素顔を掘り下げていこう。
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15歳までプロアスリートになることは考えていなかった

マフチクの経歴は、彼女レベルのアスリートのものとしては極めて異例だ。世界チャンピオンに輝いたアスリートたちの過去を調べてみると、彼らの多くがスポーツ一家の生まれであることが分かる。しかし、マフチクの両親はスポーツとは何の縁もない。とはいえ、マフチクが語る通り、彼女の家族はアクティブで、多くの時間をアウトドアで身体を動かして過ごしてきた。
彼女のスポーツに対する情熱は、7歳のときに姉について行ったごく普通のスポーツ教室で芽生えた。陸上競技はすぐに幼い少女の心をとらえた。
ヤロスラワ・マフチク

ヤロスラワ・マフチク

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「最初はただの30m走でした。陸上競技を始めた当時は、歩き方やスキップなどの基本動作の繰り返しでした」とマフチクは語る。
「幼い頃は、あらゆる競技にトライするものです。投てきやハードル走にもトライしました。実際、ハードル走を選ぶことも考えました。ハードル走のスピード感が好きでしたから」
のちに、彼女は走高跳にトライし、“跳躍” という新たなる情熱を見出すことになる。
鳥のように飛べるというのが最も重要な魅力でした」とマフチクは語る。
15歳を迎えるまで、マフチクはまだスポーツを真剣に捉えていなかった。彼女は学業優秀であり、自分の人生を競争や記録の世界と結びつけるつもりもなかった。しかし、1.92mをクリアしたことが決定機となり、彼女はフルタイムで走高跳に取り組むことを決断した。
02

早起きが苦手

プロアスリートの利点のひとつは、自分でトレーニング時間を選べることだ。マフチクはこの点についてかなり満足している。子供のときから早起きが苦手な彼女は毎日午前10時半からトレーニングセッションを開始している。
「学校が自宅から近かったので、私はすごくラッキーでした。始業ベルが鳴る45分前に起床していたものです。目を覚まして、朝食を食べてすぐ出かけていました。11年生になってスポーツ学校へ通うようになると、授業開始が午後1時10分だったので、“どうしてもっと早くこの学校に通わなかったのだろう?” と思いましたね」
早起きが苦手とはいえ、マフチクは常に時間を守る。たとえ、かなり早朝に集合しなければならないときでも。
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自由を重んじる性格

子供時代のマフチクは、陸上競技以外のスポーツも試した。空手だ。姉のアナスタシアは茶帯で、ヨーロッパ選手権優勝経験もある。
「1週間、毎日空手教室に通ったのですが、テクニックの練習に飽きてしまい、両親に “もう空手には行きたくない” と伝えました。子供の頃から、私たち姉妹は “あなたたちは一人前の人間なのだから、何をするかは自分で決めなさい” と言われていました」とマフチクは回想する。
マフチクは、このような選択の自由が彼女の人格形成に重要な役割を果たしたと確信している。
自分の人生は自分で決めます。人生は私自身の選択ですし、私は日々そのような選択をしています」
「たとえば、私はダンスが上手いのでTikTokにダンス動画を好んでポストするのですが、一部の人からは “彼女は何をしているのか? なぜダンスを?” といったコメントが寄せらせます。でも、これは私の自由なんです。他の人がどんなコメントを寄せようと、何を言ってこようと、私はダンスをしたいのです」
ちなみに、マフチクはフルネームで呼ばれるのを大いに気に入っており、両親も彼女をフルネームで呼んでいる。
「私は子供にしては頑固者でした。ヤロスラワかフルネームしか認めないという感じでした」
他の呼び名としては、彼女の姉は「ヤスヤ(Yasya)」と呼び、いとこは「ヤリンカ(Yarynka)」と呼んでいるが、マフチク自身はこのような呼び名も気に入っている。
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他のアスリートたちからのインスピレーション

マフチクは同じアスリートたちからインスピレーションを得ている

マフチクは同じアスリートたちからインスピレーションを得ている

© Vadym Herasymenko/Red Bull Content Pool

マフチクは長きに渡りジャマイカ出身のスプリンターであるウサイン・ボルトを陸上界最大のスターと考えており、ボルトの写真は彼女のスマートフォンの待受画面になっている。
「ボルトは陸上競技を本物のショーにすることで、陸上競技を新たなレベルへ引き上げました。彼はスポーツ界におけるショーマンですね。今もそれは変わりません。彼が走り、勝利するシーンを見れば “私も同じことがしたい” と思うのです」とマフチクは語る。
走高跳でマフチクがロールモデルとして仰いでいるのが、同じくウクライナ人アスリートのユリア・レフチェンコだが、カールステン・ワーホルム(ノルウェー)とアルマンド・“モンド”・デュプランティス(スウェーデン)が打ち立てた世界記録も彼女の尊敬の対象となっている。ワーホルムとデュプランティスの2人に直接会えたことは、さらなる功績を目指す彼女の意欲を駆り立てた。
「カールステン・ワーホルムとアルマンド・デュプランティス、私の3人でプーマのイベントに招かれたことがありました。2人はすでに世界記録保持者でしたし、そんな2人に挟まれたのです。自分にこのような注目が集まることを光栄に感じながらも、私も2人のように世界記録を打ち立てたいと思いました。いつか自分にも世界記録を跳べることは分かっていました」と彼女は回想する。
マフチクが世界記録を樹立する瞬間は2024年7月7日パリでのダイヤモンド・リーグで訪れ、彼女は2.10mをクリアして世界新記録を打ち立てた。1987年からこの瞬間まで破られていなかった世界記録は、ステフカ・コスタディノヴァ(ブルガリア)が樹立した2.09mだった。
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スポーツに留まらない多彩な才能

トレーニングに加え、子供時代のマフチクは歌うことにも熱中してきた。11歳のとき、彼女は音楽学校に1年間通っていた。
彼女のもうひとつの趣味が、絵を描くことだ。10代の頃、彼女は抽象画に深い興味を抱いており、コンテストにも出展したほどだった。現在でも、絵画の才能は心を落ち着けるのに役立っている。マフチクが説明する。
「今は5時間も絵画に取り組めるほど時間がありませんし、長時間座っていられるエネルギーもありません。私はいつも何かをせずにはいられない性格なのです」
「たとえば、自宅で絵を描いていても、時々立ち上がって飼い猫と遊んでいます。また、絵を描いている傍らで音楽や映画を流すこともあり、それが心を落ち着かせて気分を紛らわせるのに役立っています。絵画にはいつかまた必ず腰を据えて取り組むつもりです」
リラックスとリカバリーのために、マフチクは読書をしている。彼女はスマートフォンやiPadでの読書は好まず、印刷された紙の本を好んでいる。
「ページをめくるのが好きですし、新しい本の匂いが大好きですね」
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好きな音楽 / 嫌いな音楽

マフチクはトレーニング中に音楽を聴くのは好きではないと語る。
「ウォームアップのランニングから、それまでの自分が重ねてきたこと、そしてそのあと行うことに意識を向けなければなりません。私がトレーニング中に音楽を聴くのが好きではないのはそれが理由です」と彼女は説明する。
集中を保つことがすべて

集中を保つことがすべて

© Vadym Herasymenko/Red Bull Content Pool

普段、彼女が最も頻繁に聴くのはDua Lipa、もしくはDOROFEEVA(ウクライナのシンガー)だ。
「子供のときからVremya i Steklo(ウクライナのポップデュオ)が大好きなのですが、コンサートには足を運んだことがありません。昨年、ドニプロで行われたNadiaのソロライブに行くことができましたので、夢が叶いましたね。The Scoreも好んで聴いています。ロックほどではないですが、もっとヘビーな感じです。でも、ロックは好きではないです。特にハードロックは合いません」
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コーチからの最良のアドバイス

マフチクは、他の参加者と競い合うのではなく、自分自身と競い合うべきだと考えている。この考えは彼女のコーチからのアドバイスであり、彼女はこの真理を次の世代にも伝えていきたいと考えている。
「自分より高く、あるいは低く跳ぶ人たちと自分自身を比べる必要はありません。とにかく自分のスキルを磨くのです。努力して鍛えてきたことは必ず結果に反映されるはずです」と彼女は語る。
また、マフチクはトレーニングがパーフェクトに進まないときがあることも認めている。毎回自分のベストを出し切ることは不可能であり、物事が上手くいかないときもある。最も重要なのは、ハードワークを続け、自分を信じることだと彼女は語っている。
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独特なスタイル

他者と自分を比べることに意味はない

他者と自分を比べることに意味はない

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自分より高く、あるいは低く跳ぶ人たちと自分自身を比べる必要はありません。とにかく自分のスキルを磨くのです
ヤロスラワ・マフチク
競技に身を置くアスリートたちは、自己表現の方法、そして自分のクリエイティビティや個性を投影する方法を探すものだ。
一部のアスリートたちは、服装やボディアートで自分を表現しているが、競技中のマフチクを捉えたどの写真からも、明るいブルーとイエローのメイクという彼女の独特なディテールが見て取れる。彼女は、このメイクを自分のルックスの不可欠な要素にしようと思い立ったときのことを回想する。
「私はそれまでブラックかイエローのアイライナーという控えめなメイクをしていました。2022年に戦争が始まったとき、今のメイクにしようと心に決めたのです。クールでしたし、私の代名詞になりました。このアイライナーをするようになってすぐに観客やフォトグラファー、さらには街の人たちから注目を集めるようになりました」
独特のルックスを生み出したマフチク

独特のルックスを生み出したマフチク

© Vadym Herasymenko/Red Bull Content Pool

現在、マフチクは競技前に1時間をかけてそのユニークなメイクとヘアスタイルを用意している。スポーツ専門誌やファッション誌など、世界中のメディアの多くも彼女の鮮烈なスタイルを称賛し、写真を掲載している。
競技前の準備中に母国に思いを馳せます。私は競うためにここに来ていて、ウクライナがメダルを勝ち取ることができるか否かは私にかかっていると言い聞かせるのです」
「2.10mを跳ぶ前も、“この跳躍に成功したら、地元でどのような祝福を受けるだろう” と思っていました。助走のスタートラインに立ち、自分ならできると言い聞かせました。バーに視線を向けると、それほど高くないと分かりました。不可能なことは何もありません。すべての可能性は自分の中にあるのです
マフチクの次なる挑戦の舞台は、9月に東京で開催される世界陸上2025だ。
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