堀米雄斗
© Ayako Yamamoto
スケートボード

堀米雄斗がスケートボードで心得た5つの大切なこと!

6歳でキャリアをスタートさせ、スケートボード一本で海を渡った堀米雄斗(ほりごめ・ゆうと)。後にコンテスト競技の頂点を掴み、さらなる高みを目指して挑戦中の彼が、スケート人生において大切にしていること。そして、この先に目指す未来とは!? レッドブルとの新しいステージが始まる。
Written by alex shu nissen Edit by Hisanori Kato
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堀米雄斗がレッドブルで挑戦したいこと! もうひとつの記事は《こちら
   
01

スケートボードで身につけた心得

人間性はストリートで育つ
時には“じゃまもの”として社会からキックアウトされがちなスケーターたち。不良っぽいイメージがつきまとうカルチャーではあるが、おそらく堀米雄斗にそんな印象を抱く人は居ないだろう。物腰が柔らかくナイスな青年、決めるべき時はしっかりメイクする、そんな存在だ。
   
「まだまだかもしれませんが、スケートボードを通して人間として成長している実感があります。始めた頃は、ずっとスケートボードだけやっていて、ただただ上手くなろうと夢中になっていました。でも、続けていく中で、それだけじゃダメなんだって気がついたんです。基本的なこと、礼儀であったり、人との繋がりやコミニケーションをより大切にできるようになりました」

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評判通り、これだけの名声を手にしても常に謙遜している。トップアスリートとして見られる立場となった彼だが、自身の人間性はストリートで培われたものだと語る。
  
「僕は小さい頃から、大人の先輩たちと一緒に滑ることがすごく多かったんです。当時は、いつも会ってる人たちだからって、挨拶をスキップすることがあって、めちゃくちゃ怒られたこともあります。今思えば当たり前のことなんですけど、まだ未熟な頃から愛を持って接してくれたことで、今の自分が居ると思ってます」
  
スケートボード一つあれば、言葉がなくとも分かりえる。それもスケーターの魅力だが、親しき中にも礼儀あり。厳しくも愛のある眼差しは、世界へ羽ばたくポテンシャルを持っていた堀米少年への期待の現れだったのかもしれない。ストリートでの経験は競技に向き合うアスリートとしての精神にも生きている。

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「ここ数年、コンテストで勝ち続ける難しさを感じるようになりました。メダルを取り、追われる立場になってから、周囲の期待は何倍にも膨れ上がっていて。今までできなかった経験や、新しい機会をもらうことも増えて、これから自分はどんな動きをするべきなのか、迷いました。でも原点に立ち返ることで、自分なりの答えが見えてきたんです」
  
堀米の出身地である江東区には、彼の呼びかけが実り完成した練習場、夢の島スケートボードパークがある。また、自身でアスリートマネジメント会社を設立するなど、第二、第三の堀米雄斗を輩出すべく、後進スケーターの育成に力を入れている。
  
「こうして自分が活躍できているのも、日本のスケートカルチャーを作ってきてくれた先輩たちのお陰だと思ってます。だから今度は自分の番。日本のスケートシーンをもっと良い環境にするサポートができればと思っています」
02

日本とアメリカの往来で見つけたこと

チャンスを掴めるなら、飛び込め
“ぼくの夢は、世界で一番うまいスケーターになることです。だからもっと練習するためにスケボーの本場のアメリカにいきたいです。”
  
これは堀米の小学校の卒業文集に書かれていた一文だ。彼は現在、LAを拠点に生活している。
  
「アメリカに来て良かったと思うのは、やっぱりスケートボードがしやすい環境が整っていることですね。街中で滑っていても変な目で見られることも少ない。もちろん怒られることもあるけど、ストリートカルチャーとして根付いているから、スケーターが受け入れられている感じがします」

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言語の壁、食文化、交通インフラなど、日本とのギャップに初めは苦労したようだが、それでも十分お釣りが来るぐらい、アメリカでの生活はスケーターにとって魅力的なんだとか。
  
「チャンスがすごく増えました。スポットとかパークに行ったら、トップのプロスケーターと会ってセッションすることが日常になるので。可能性が広がるのももちろんですが、高いレベルでできることが本当に楽しいんですよね」
  
英語が話せないまま渡米した堀米だったが、LAで生活するうちに、アメリカ人のマインドを吸収して性格も変わっていったという。
  
「アメリカ人は、伝えたいことはちゃんと伝えるし、はっきり言うイメージ。常にシンプルな気がします。他人の意見も大事だけど、結局は自分がどうしたいか、自分で決めないといけない。そういうマインドは大事ですよね。あと、アメリカに来てから自分もフレンドリーになれた気がします。最初は友達作らなきゃって思ってたけど、気付いたら自然に仲良くなれるようになってました」
  
今は昔と違って良い情報がSNSで瞬時に手に入る時代になった。日本で言えば、東京に出なくても地方で活躍する人も多い。それでも、スケートボードのトップを目指すならアメリカに行くべき、そう考える理由がある。
  
「みんなSNSをチェックしてるから、世界のどこにいても見てる人は見てるんですよね。だから、あえて地元で活動して発信するやり方もかっこいいと思います。正解は人ぞれぞれです。ただ、自分の場合は、リアルな繋がりやコミニケーションを大事にしたいのと、一番は、アメリカに居ることで少しでも成長する可能性が増えるならその環境を選びます。世界一上手くなりたいので」
03

プロになったことで生まれた自覚

プロの条件、インスピレーションを与える
スポーツ選手とは違い、プロスケーターという定義には人それぞれの解釈がある。小学生の堀米の作文にはこんなことも書いてあった。
  
“アメリカ人のプロスケーターに認められないとプロスケーターじゃない”。
  
26歳の彼は今どんな風に考えているのだろう。
  
「人によってすごい違うんですよ。一般的にはスケートボードブランドから、自分の名前が入ったボードが出るとプロスケーターって肩書になると思います。ただ、プロスケーターとして大事なのは、どれだけ多くのスケーターにインスピレーションを与えられるか。その影響力を使ってカルチャーを広げていく人が本物のプロだと今は思います」
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それまでもプロと言っても差し支えない存在ではあったが、彼のプロモデルのデッキがリリースされたのは2019年。こうして20歳で正真正銘のプロとなったものの、自身としてはまだまだ満足がいっていなかったそうだ。
  
「確かにプロスケーターではあるけど、当時はポール・ロドリゲスとかエリック・コストン、シェイン・オニール、ナイジャ・ヒューストンたちと、大きな差を感じていました。それはスター性、カリスマ、オーラ、言葉にできないそういった部分。自分が憧れて来た存在をどう越えていけるかは常に考えていますね」
  
ここ数年の堀米の活躍を見ていると、その差は埋まって来ているように見える。間違いなくヒーローであり、彼に憧れてプロスケーターを目指すキッズも少なくないはずだ。ただ本人は、まだまだ上を見てひたむきに努力を続けている。後輩たちへのアドバイスを聞くと答えはシンプル。それでいて、真っ直ぐな熱い言葉だ。
  
「もう本当に自分を信じて、とにかく頑張りまくる! それしかない。やり切った先に見えてくるものがある。経験っていうのは失われないものだと思ってます。失敗すると意味がなかったって感じるかもしれないけど、学ぶことはすごく大きいし。全てに意味があるって自分は信じています」
  
淡々とやるべきことをこなし、日々成果を積み上げる。そんな生き方もまた、多くの人の心を動かしていくものだ。
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04

交友関係の広がりから成長できたこと

新しい仲間も、昔からの仲間も大切に
スケートボードを愛する人たちは皆、堀米をリスペクトしている。各ジャンルのトップランナーたちとの交流も増え、 大のスケートボード好きで知られるラッパー、Lil WayneのMVに出演したことも話題となった。
  
「一緒に滑ったり、大会を見に来てくれたり、パートを褒めてくれたりとか、次のパートはいつ出る? みたいに楽しみにしてくれていて。スケートボードを好きでいてくれるのが嬉しい。めちゃめちゃブチ上がるし、もっと頑張ろうってモチベーションになりますね」

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ファッション界では、藤原ヒロシやNIGO®、VERDYなど錚々たる顔ぶれとも交流がある。幼少期から英才教育を受け、スケートボード漬けの毎日を送って来た堀米だが、最先端のカルチャーに触れることで吸収することも多いと話す。
  
「違う業界の人たちと話すと、やっぱり見てる角度が全然違かったりするので、いつも刺激をもらってます。ファッションは好きだけど、まだまだ経験値がないので、自分が不得意な部分を最先端の人たちに教えてもらえるのが、今の自分にとってすごくプラスになっていて。こういった交流がスケートボードの可能性を広げていくことにもなる思ってます」
 

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スケーターはファッションを含めたライフスタイルにも多くの注目が集まる。感性が磨かれていくことで、カルチャーアイコンとしても存在感を増していくだろう。一方で新しい交友関係だけでなく、旧友たちから学んだこともある。東京でメダルを獲り、パリに向けての準備期間、スランプに陥っていた彼を救ったのが地元の仲間たちだった。
  
「結果が出ない時期は落ちてて、ずっと1人で滑ってたんですけど、原点を見失っていました。でも東京に戻って地元の仲間たちとストリートで撮影していたら、友だちとの昔のノリとか安心感でスケートボードの楽しさを思い出せたんです。その中で新しい技も生まれて、パリでの優勝に繋がりました」
  
あの逆転劇の裏には、昔ながらの友達の支えがあった。仲間思いの彼だからこそ、人との繋がりから常に学び、大きな力に変えていけるのだろう。
05

この先に目指す理想の自分像!

チャレンジを楽しみながら攻め続ける
新たな挑戦のためにレッドブル・アスリートとなった堀米雄斗。この先に目指す理想の自分像について聞いてみた。
  
「今後も、スケートボードがない自分を想像できない。それぐらいスケートボードが好きっていうか、スケートボードがないと自分じゃない感じがしますね。やっぱり僕は大会だけずっとてことができなくて、ストリートでやるからこそ、自分でいられるので、それぞれ両立させたいと思っています」

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競技と表現を両立しているのが堀米がスケーターとしてリスペクトされている理由の一つ。これからはさらに表現へ力を入れていく。
  
「映像を撮る上で、自分のオリジナルを作り上げていくことが、すごく大事だと思っています。アメリカ流のやり方でもいいと思うんですけど、それに流されるんじゃなく、自分たちのやり方で、アジア人としての見せ方をしたい。アジア人として盛り上げていきたいんです」
  
彼が掲げる一つの大きな目標が、Skater of the Year(SOTY)の獲得だ。スケーターに贈られる最高の栄誉とされているSOTYを、アジア人として受賞すれば前人未到の快挙となる。SOTYを目指すためにも、映像制作はかなり重要。まずストリートのスケーターが認める作品を作ること。その他に、誰もが見て楽しめるような、ぶっ飛んだチャレンジにも意欲的だ。これはスケートカルチャーの可能性を広げる為でもある。
  
「インパクトのある新しい映像作品を出したいです。レッドブルは、個人ではできなかったビッグプロジェクトを一緒に実現できる。レティシアがヘリコプターの中でグラインドをしてそのままパラシュートで降りるのとか、あれはすごく衝撃でした。それぐらい、普通じゃ考えられないような企画もやってみたいですね」
  
どんなエクストリームな挑戦でも堀米ならきっとメイクしてくれそうな気がする。彼がこれから残す映像作品がどのようにスケートシーンに影響を与えていくのか。レッドブルはそんな堀米雄斗に寄り添いながら、共に成長していきたい!
   
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堀米雄斗のアナザー・インタビューは【こちら
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