ひと世代に一人くらいの割合で、時空とスノーボードを超越したスノーボーダーが現れる。2020年1月のコロラドの寒い夜がまさにそのタイミングだった。
「とにかく驚いたね。今でも良く覚えているんだけど、X Gamesの招待担当からDMが届いたんだ。“やあ、僕はX Gamesで働いているんだけど、君のメールアドレスをもらえないかな?” と書かれていた。僕は “ワオ。何だって彼は僕のメールアドレスが必要なんだろう?” と思った。ちょうど友人と一緒だったから、 “凄くない?” と言ってそのDMを見せたんだ。信じられなかった。もちろん、正式なオファーではなかったけど、オファーがいずれ届くことはその時になんとなく理解できた」
「そのあとは、その友人と1日を過ごしたあと、ポーチでのんびりしていたんだ。とても天気が良かったからね。すると、僕のスマホに通知が表示された。“あなたはX Gamesへ招待されました” 的なメールが届いたんだ。 “オーマイゴッド” と思ったよ。落ち着きをなくして、両手で頭を抱えながらウロウロ動き回った。本当に驚いた」
こうして、世界中のスノーボードファンは知らぬ間に世界で最もダイナミックでエキサイティングなライダーのひとりの登場を待つことになったのだ…。
ゼブ・パウエルことゼブロン・パウエルの出自は一般的なプロスノーボーダーのそれとは異なる。
プロスノーボーダーの多くは毎冬大雪に恵まれる雪山に囲まれた地域の出身だが、彼の場合はそうではない。
「僕はノースカロライナ州ウェインズビルの出身だ。最寄りのスロープはカタルーチー・スキー・エリア(Cataloochee Ski Area)で、地元から車で30分の距離にあった。スノーボードシーンはそこまで大きくなかったけど、幸運なことに、僕がパークに通っていた頃、そこに来ていたライダーたちがみんなクールだったんだ。彼らはエディットの撮影とか色々なことをDIYでやっていた」
パウエルの父親はウッドチップ工場の経営者で母親は教員助手だ。パウエルは「両親はスキーもスノーボードもやらないけれど、僕を熱心にサポートしてくれている」と説明している。パウエルの両親には娘がおり、そのあとで養子を4人迎え入れた。パウエルはその5人きょうだいの末っ子だ。本人は「多様性に満ち溢れた家族なんだ」と続ける。
米国東海岸のような季節の移り変わりが感じられる地域で育てば、スケートボードからスノーボードへの移行はいたって普通だ。夏はスケートボードを楽しみ、雪が降り始めて冬が訪れたらスノーボードを楽しむ。
「友人がカタルーチー・スキー・エリアで誕生日パーティを企画したんだ。でも、僕はスノーボードを持っていなかったから行けなかった。だから今度は “スノーボードが欲しい!” と頼んだのさ」と言ってパウエルは笑う。しかし、今回もパウエルは最初から気に入ったわけではなかった。彼がこのスポーツを気に入ったのは3回目の頃だった。
「三度目の正直って奴だろうね。2回目でインストラクターがレギュラースタンスのボードを用意したんだ。僕はグーフィーなのにさ。だから楽しくなかった。インストラクターの女性も意地悪だったし(笑)。でも、次に家族ぐるみで付き合いがある友人と一緒に行って、グーフィーのボードを使ったんだ。1、2本でコツを掴めた。いきなりパークのボックスを使えるようになったんだ。あの日からすべてが始まった」
その後、パウエルはスノーボードレジェンドで元Forumオールスターライダーのチャド・オッターストロームに才能を見出され、バーモント州ストラットンに位置するスキー&スノーボードスクールの名門、ストラットン・マウンテン・スクール(Stratton Mountain School / SMS)へ通うことになる。
「オッターストロームさんはストラットン・マウンテン・スクールのコーチだったんだ。スノーボードを始めた次の年にオッターストロームさんが母に僕には才能があることを伝えたんだ。“息子さんには才能があります。うちのスクールへ通わせることを真剣にお考えになられた方がよろしいですよ” ってね」
「でも、母は僕を遠くへ行かせたくなかった。だから、家族でSMSを訪問して、案内してもらったんだ。僕は最高だと思ったよ。スノー山でライディングしたんだけど、スーパーパイプが置かれていたし、レールもすべて揃っていた。ビデオゲームのような環境だった。それで、SMSに通うようになったんだ」
パウエルにフレッシュな才能が備わっていることはライディングを見れば明らかだったが、彼のスキルをさらに磨き、勉強を続けて単位を取りながらライディングに集中できる環境を提供したのはSMSだった。ノースカロライナ州出身の若きスノーボーダーはここから光速で成長していった。
そして時計の針は2020年1月後半のあの寒いコロラドの夜へ進む。パウエルはアスペンに集まっていた何万人もの観客の前でゴールドメダルを噛みしめた。それは両親、コーチ陣、友人たち、家族、そして自分自身の努力がすべて報われた瞬間と言えた。そしてパウエルは正式にスノーボードシーンの次のスーパースターへの道を歩み始めた。
ここからパウエルのレガシーの次章が始まった。X Games史上初の黒人ゴールドメダリストとなったパウエルは、長年放置されていた社会とアクションスポーツシーンにおける人種問題・社会構造的問題の認識の高まりと相まって一気に有名人になった。
スノーボードシーンにおける人種平等は進歩が必要とされている。ギアやリフト券、交通費などをカバーできるだけの収入がある裕福な白人が圧倒的に多い同シーンにおけるインクルーシブな環境の整備も進む必要がある。恵まれないコミュニティは雪山へ向かうことさえできないという現状は変わる必要がある。
パウエルは自分のプラットフォームと声を活用することでこの非常に重要な問題を解決の方向へ前進させようとしている。
「僕が知った最初の黒人スノーボーダーはディロン・オジョ(Dillon Ojo)だった。SMSへ通っていた頃、“ちょっと待てよ。僕の他にも黒人スノーボーダーはいるのかな?” と思ったんだ。すると友人が “いるよ。ディロン・オジョさ” と教えてくれた。それでInstagramで彼のストリートエディットをいくつかチェックした。“ワオ。僕の仲間がいるんだな” と思ったのを覚えている」
「僕が知った2人目の黒人スノーボーダーはShred Mamba(シュレッド・マンバ / ジョナサン・マクドナルド)だった。『Sunday in the Park』のエピソードで、彼が特大のバックフリップをメイクしたのを見て、“オーマイゴッド! また別のライダーがいたぞ!” と思ったよ。彼は最高にクールだったね。僕に大きなインスピレーションを与えてくれたのはこの2人だ」
パウエルは2人から得たインスピレーションをモチベーションに変えながら自分の旅を続けた。そして今、彼のミッションには、自分と同じような環境の他の子供たちのためにスノーボードコミュティのリーダーになることが含まれている。
「黒人スノーボーダーにとってのルネサンスを起こせればと思っているんだ。そうなったら最高にクールだよね。ようやく “自分はひとりじゃない” と感じられる環境さ。僕たちのようなライダーは本当に数が少ないから、今はひとりのように感じてしまうんだ。僕は黒人のスノーボーダーの数を増やしたいと思っている。素晴らしいアスリートなのに “黒人はスノーボードをしない” という考えに囚われている子供たちが絶対にいるはずだからね」
「僕なら黒人もスノーボードができるということを示せる。スノーボードは無理だと思って他の道を進むことを考えている優秀なアスリートが、黒人がスノーボードをしている姿を見ることができたら最高だと思うんだよね。“ほら、黒人だってスノーボードを楽しめるんだよ” と伝えられるんだ」
このように語るパウエルは、自分の声を社会のために色々な形で活用するプランを立てている。これはパウエルがただのスノーボーダーではなく、真の革命児であることを示しているが、彼のこのような考えは、多様性と共感性に富んでいた幼少期が育まれた基本的価値観から来ている。
「今は僕にもフォロワーがいるし、この問題に取り組んでいる非営利団体と一緒に仕事をしたいと思っている。自分のプロジェクトに取り組むことも考えているよ。面白いのは、これが父の長年の夢だったってことさ。父はいつも “有名になったらお金に執着するな。不運なコミュニティのために使いなさい” と言っていた。この言葉が僕の意識に刻まれているから、僕はやってみようと思っているんだ」
「先日、Hoods To Woodsから連絡があったから、今度一緒にポッドキャストをやる予定だ。ようやく一歩を踏み出せたから、このまま彼らと一緒に行動を続けていきたいね。あとはレッドブルとThirtyTwoにもアイディアを投げたところだよ。将来やってみたいプロジェクトについて話をした」
「理想の状況を言わせてもらうと、仲間と一緒に色々な土地を回って、スノーボードクリニックを展開できたら最高だよ。誰でも参加できて、あらゆるレベルの人たちが色々なボードに挑戦できるようにする。スノーボードをより身近に感じてもらえるはずさ」
パウエルのスノーボードシーンにおける未来は無限の可能性を秘めているように思える。スキル、性格、他者への思いやりはもちろん、今のスノーボードシーンが必要としているものすべてを彼は備えている。
これから先、彼はいくつもの理由から最も大きな影響力を持つスノーボーダーのひとりになる可能性が高い。しかし、今この瞬間においても、パウエルは最も大きな才能と爆発力を持つライダーのひとりであり、そのレガシーを雪山に留まらないあらゆる場所に残そうとしている。