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Sunrise In My Attache Caseの“偉大なる小さな一歩”とは?

昨年の『Red Bull Live on the Road』覇者、Sunrise In My Attache Caseが新曲『The Wall』を発表。個々のルーツや彼らの“偉大なる小さな一歩”を激白
Written by 西廣智一
読み終わるまで:11分公開日:
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左から岡P(Dr)Kazuya(Vo)anoppe(G)cubs(B)

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──まず最初に、皆さんの音楽ルーツから聞かせてもらえますか?
anoppe(G)僕は高校時代に友達から教えてもらったNIRVANAが最初にハマったきっかけです。そこからOASISとかRADIOHEADとか、当時流行っていた洋楽ロックを聴き始めました。ギターを始めたのは、NIRVANAを教えてもらうちょっと前くらい。最初にコピーしたのは、たぶん奥田民生さんだったと思います。「愛のために」を最初にコピーして。そのあとは、NIRVANAのコピーバンドをやってました。
cubs(B)僕は中2のとき、友達からOASISの『(WHAT'S THE STORY) MORNING GLORY』を借りたのがきっかけ。その頃はバンドをやろうとは考えてなかったんですけど、高2の終わりか高3のときに、Kazuyaが以前やっていたバンドのアルバムを友達から借りて、「これはヤバイ!」と衝撃を受けてバンドをやりたくなって。そのときたまたま友達がベースをタダでくれたのもあって、学祭でSUM 41とGREEN DAYとアジカンとELLEGARDENをコピーしました。
Kazuya(Vo)僕は小学校5年ぐらいのときに観た映画『アルマゲドン』で、AEROSMITHの主題歌(「I Don't Want To Miss A Thing」)を聴いたときに「やばっ!」と思ったのが最初。映画と音楽のリンクの仕方に衝撃を受けて、「バンドってええな」と思ったんです。
バンドを始めたのは高校に入ってから。最初はドラムがやりたかったんですけど、カラオケに行ったときに友達から「お前、歌ったほうがええぞ?」と言われて、軽いノリでボーカルを始めたんです。で、僕が入ったバンドにはすでにオリジナル曲が2曲あったので、そこにもう1曲加えてCDを作ろうって話になって、その1曲を僕が作詞したんですよ。その曲が完成したときの喜びが格別で、これはもうバンドを続けようってことで今に至ります。
岡P(Dr)僕は『DrumMania』ってゲームがきっかけですね。中学1年生の夏ぐらいにゲームセンターに行ったときに、友達が『DrumMania』をやっていて。正直、最初は馬鹿にしてたんですよ、「なんやお前、そのしょーもないゲームは?」みたいに(笑)。でも、やってみたらめっちゃ面白くて、家庭用ゲームのコントローラーを買うくらいハマってしまったんです。そこでドラムの基本パターンを覚えて、1年後にドラム教室に通い始めたら、先生も「ゲームでそんなに叩けるんか!」と驚いてました(笑)。
バンドは高校に入ったと同時ぐらいに、ずっと仲良かった友達と始めて。僕も青春パンクとかめっちゃ好きだったので、そのあたりをコピーしてました。
──皆さんそういうルーツがあり、Sunrise In My Attache Caseにたどり着くわけですね。Sunriseはどのような経緯で結成されたんですか?
Kazuya まず、僕がやっていたバンドが解散して。ちょうどanoppeも前のバンドを辞めたタイミングで、最初はふたりで「遊びで曲を作ろうか」っていうのが始まりやったんです。とりあえずジャンルとか気にせず作り始めたら、だんだんとアコースティック主体になっていって。それまでふたりともギターが歪んだ、テンション高めなバンドをやっていたので、ユルい音楽に癒され始めてたのかな。たまに速いのもやりたくなるんですけど、途中で「しんどいな…‥」ってなって、結局やめるんですけど(笑)。
cubs BPM100ぐらいがちょうどいい。120だったら十分速いですからね(笑)。
──日本のロックって、どちらかというとBPMが高めなものが多いけど、海外では100から120ぐらいのテンポ感のロックが主体ですよね。そのへんは意識したことありましたか?
Kazuya いや、まったくないですね。たぶん洋楽がベースにあるんで。
cubs 自分たちが聴いていて気持ち良いラインがそこなんですよね。
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──なるほど。で、そこからcubsさんと岡Pさんが加わると。
cubs 僕は前のアルバム(2015年7月発売の『The Winding Road』)を出すちょっと前に入ったんですけど、それ以前にKazuyaとは出会っていて。高校のときに好きだったバンドの話になって、「僕こういうバンドが好きだったんですよ」と言ったら「え、それ俺やで?」って話になって(笑)。そこからすぐ仲良くなって毎週飲みに行ってたら、当時のベースの人が抜けるタイミングで誘ってもらったんです。
岡P 僕も19歳ぐらいのとき、Kazuyaの前のバンドと東京で一緒に対バンしていたという衝撃的な事実があって(笑)。それから何年か経ってから僕もバンドが変わって、前のドラムがいるSunriseと対バンしたときに改めて仲良くなったんです。で、僕が前にやってたバンドを抜けることなって、同じ時期に「ドラムが抜けるので、一緒にやりませんか?」と。運命的すぎると思って、それで一緒にやるようになったんです。
──Sunriseを始めた頃の奈良の音楽シーン、ライブハウスシーンってどういう感じでしたか?
cubs その頃奈良で人気のバンドといったらKIDS、OVER ACTION、THE ORAL CIGARETTESあたりかな。ライブハウスも中規模のハコが1つと、すごく小さいハコが1つと、その2箇所が基本。だからジャンルによってハコが分かれることもないし、そもそも同じジャンルで固まるほどバンドもない(笑)。
Kazuya 奈良はバンド数がもともと少ないんで、シーンと呼べるほどのものはなくて。昔からそうなんですけど、基本的にみんな同じ感じにならないんですよね。個性が強いというか、バラバラっていうか。だから他の土地で対バンをしても、奈良が異色すぎるんで逆に驚かなかったりするんですよ。
──Sunriseとしての初ライブのことは覚えてますか?
Kazuya 覚えてます。そのときはキャパ60人ぐらいの、奈良のちっちゃいハコでオリジナル3曲とコピー2曲やって。ケイティ・ペリーの曲をアレンジして、バンドサウンドでカバーしてました。
anoppe あとFOO FIGHTERS。
岡P むちゃくちゃやん(笑)。
──そのときはお客さん、どれくらいいましたか?
Kazuya 全然でしたね。外国人の友達が3人ぐらい観に来て、ちょっと国際的な雰囲気になってましたけど(笑)。
anoppe それがもう5年前?
Kazuya そんなになるんや。
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──そこが最初の小さな一歩だったと。その後活動を続けていく中でいろんなことがあったと思います。
Kazuya ユルくバンドをやろうみたいなのが始まりだったので、できるだけ普通に働きながら余裕のある状況を作ろうと。月1回ライブするかせえへんかぐらいのペースでやりながら、曲作りだけはずっと続けていたんです。ちょうどcubsが入ったタイミングで、「俺ら、何か決めないと絶対に動かへん」と思って「せっかくやしアルバム作ろう!」と決めて、そこから徐々に動くようになっていきました。
anoppe あの頃はネットに曲を上げたりしてたな。
cubs 僕にはそれが新鮮だったんですよ。SoundCloudに全曲上げていて、しかも無料配布のCDが2枚組で。だからライブの動員だけはめっちゃあったんですよ、全然ライブしないのに(笑)。
Kazuya 地元のライブハウスでも「Sunrise、ライブ全然してないですよね? なんでこんなにお客さんが集まるんですか?」って驚かれてました。
cubs 昔はライブをすれば次につながると思ってたけど、当時のSunriseみたいに曲が良かったらみんな聴いてくれるし、ライブを観に来てくれると知って。本当に驚きました。
──バンドとしてのプロモーションがしっかりできていたんですね。
Kazuya そうですね。その頃はもう社会人やったんで、お金にもある程度余裕ができた。だからなのか、音楽で儲けようという気持ちもまったくなかったんです。そこから「だったらCDも配ったほうがいいんじゃない? そうすれば広まるやん」と思って。だから最初は全部タダで配ってました。
──その無欲さが、今の活動につながっているんですね。となると、バンドにとって最初の転機は、cubsさんが入ってアルバムを作ったタイミングでしょうか?
Kazuya そうですね。そのとき、高校時代からの同級生に「ちゃんとCDを流通に乗せて出したほうがいいぞ。俺も流通とか全然わからへんけど手伝うから」と言われて。MVも沖縄まで一緒に撮りに行って。
cubs そこで本格的に意識が変わったよね。彼はいまだにバンドに関わってくれている、なくてはならない存在です。
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──そのあとの大きな転機となるのが、『Red Bull Live on the Road』。応募したきっかけは?
Kazuya 大阪・心斎橋VARONってライブハウスのブッキング担当が昔から仲良くて、その子が最初に誘ってくれて。それでちょっと面白そうと思ったんです。
cubs ちょうど岡Pが加入するタイミングで、ちょっとライブしてみようかっていう普通にブッキングライブに出るくらいの気持ちだったんです。
──それがサマソニ出演や、FINAL STAGE優勝につながる。この1年で環境もずいぶん変わったんじゃないですか?
Kazuya 僕はもう、親ですね(笑)。今まではバンド活動に対してそんなに言ってこうへんかったんですけど、最近は何かあるたびに聞いてくるんです。「今どうなの? CMは何時から始まるの?」とか電話かかってくるし(笑)。あとは地方からライブに来る子が増えましたね。こないだも大阪でやったときに、わざわざ仙台からひとりで観に来た子がいて、始まってすぐに号泣して。あの子はすごく印象に残ってます。
──さて、いよいよ5月3日にシングル『The Wall』が発売されますね。
全員 ……(全員、無言に)。
Kazuya こういう説明が、一番難しい(苦笑)。
──いやいや、今日のメインですから(笑)。
cubs 今回は3曲ともメッセージ性があって、くすぶっている現状から抜け出したい、壁を乗り越えたいと思っている人の応援歌になればいいなと。聴くだけで元気になれる1枚かなと、僕は思っています。
Kazuya うまいこと言ったな(笑)。
他のメンバー (笑)。
──この中からタイトルトラックの「The Wall」が『World of Red Bull』のテレビCMソングとしてオンエアされるんですよね。
cubs そうです。今回は『Red Bull Live on the Road』で優勝したからCMに起用されたんじゃなくて、ちゃんと曲を聴いて選んでもらったんです。それが僕ら的には最高に嬉しかったですね。
「The Wall」という曲は僕らもできたときから「ヤバイ曲できたな」と思っていたし、岡Pが入ってから初めてライブでやった、ライブを観てくれる人も毎回楽しみにしてくれている1曲なので、テレビを通してたくさんの人に聴いてもらえるのは本当に嬉しいです。
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──本作のレコーディングはRed Bull Studio Tokyoで行われたそうですが、そうそうたるアーティストが使っているスタジオでのレコーディングは、それまでとはまた違ったものがあったんじゃないでしょうか?
Kazuya 最初に来たとき、「なんやこれ?」ってオドオドしたもんな(笑)。僕ら、今まで奈良でしかレコーディングしたことがなかったので、もうすべてが違いすぎて。まずドラムの音決めに3時間ぐらい使って、すごく細かいところまでちゃんと決めていくことに衝撃を受けました。岡Pなんて、そこでもう疲れてしまうという(笑)。
岡P 僕もそういうのを知らなかったので、驚きました。
anoppe あとは、やっぱり広さが一番違いますよね。窮屈な場所で録るんじゃなくて、広々としたところでやるわけで。よく海外のバンドのレコーディング風景で目にするミキサー卓や機材がほんまにあるんやって感じでしたね。
cubs でも今となっては親近感マックス、ホームみたいな感じですね。
岡P それはあかんで(笑)。一回奈良に帰っておこう(笑)。
──では最後に、バンドとしての今後の目標を聞かせてください。
Kazuya 海外で活動できるように、そこを目指して活動していきたいなと思ってます。
cubs 今は日本のバンドがどんどん海外で活躍することで、国籍は関係ないでと証明してくれているので、あとは僕たちがやるだけだと思ってます。