2005年鈴鹿はライコネンにとってMcLaren在籍時最後の勝利となった
© Clive Mason/Getty Images
F1
大逆転! グリッド後方から優勝したF1ドライバー!
F1でレースに勝つには予選順位が重要だと言われるが、必ずしもその例にあてはまらないレースウィナーたちも存在する。
Written by Tom Bellingham
読み終わるまで:6分Published on
今年のベルギーGP決勝で話題のひとつになったのは、パワーユニット交換によりグリッドペナルティを課され21番手からスタートしながらも見事なドライビングを見せ、3位フィニッシュを果たして表彰台に上ったルイス・ハミルトンだった。彼がグリッド後方の位置からスタートして表彰台圏内まで挽回したレースは、彼のこれまでのキャリアにおいて3度目のことだった。
そんなハミルトンでさえも、グリッド後方のスタートから優勝を果たしたことはまだ一度もない。だが、F1史においてはその偉業を果たしたドライバーがいる。今回は、奇跡の大逆転ドライバー5名を紹介しよう。
初優勝の美酒に酔うバリチェロ
初優勝の美酒に酔うバリチェロ© Rainer W. Schlegelmilch/Getty Images
ルーベンス・バリチェロ
レース:2000年ドイツGP
スタート順位:18位
決勝レース順位:優勝
長年に渡り初優勝のチャンスから見放され続けてきたルーベンス・バリチェロだったが、その待望の初優勝は実にドラマチックな形で訪れた。雨が絡み難しいコンディションとなった2000年ドイツGPで、彼は予選18位スタートから優勝を果たしたのだ。
アグレッシブな2ストップ作戦を敢行したバリチェロは順調にポジションを上げるが、その頃にはMcLarenのミカ・ハッキネンデビッド・クルサードが遥か前方で盤石の1–2体勢を築きつつあった。このままMcLaren優勢でレースが進行するかと思われた25周目、なんとMercedesの元従業員がコース上を横切るという珍事が発生する。この男はMercedesの解雇は不当だと抗議するためにサーキットへ侵入したことが後に明らかとなったが、この前代未聞のハプニングによりレースには急遽セーフティカーが導入されることとなった。
ドライ/ウェットが混在する難しいコンディションの中、多くのマシンはピットインしウェットタイヤに交換。だがバリチェロはドライ用スリックのままコースに留まるというギャンブルに出て、結果的にこれが吉と出た。長い不遇の時代を乗り越えてようやく表彰台の頂点にたどり着いたバリチェロは、ブラジル国旗を高々と掲げて人目も気にせず泣きじゃくった。
得意のスパで予選16位からの優勝を果たしたシューマッハ
得意のスパで予選16位からの優勝を果たしたシューマッハ© Rainer W. Schlegelmilch/Getty Images
ミハエル・シューマッハ
レース:1995年ベルギーGP
スタート順位:16位
決勝レース順位:優勝
現役時代のミハエル・シューマッハは「スパ・マイスター」という称号を我がものとし、スパ・フランコルシャンでは抜群の強さを誇っていたが、中でも白眉とされるのがこの1995年ベルギーGPでの勝利だ。シューマッハ自身が最もお気に入りと公言するサーキットで、彼はたとえ低いグリッド位置からであっても勝利にこぎつけることが可能だという事実を見せつけた。
1995年スパでの予選、ウェットとドライが混在するコンディションに翻弄されたシューマッハは16位からレースをスタートすることになる。だが、ひとたびレースが始まると彼は破竹の追い上げを見せ、この年にタイトルを争っていたデイモン・ヒルと激しいトップ争いを演じる。レース中盤まで雨が降り、ライバルたちがウェットタイヤに交換する中、シューマッハはドライ用タイヤでステイアウトするという選択をして、ウェットタイヤに履き替えてハイペースで迫るヒルを巧妙にブロックして抑え込む。雨が止むまでヒルの猛攻に耐え続けたシューマッハは、トラックが乾いたと見るやいなや猛然とスパート開始。結果、後方を20秒近く突き放す独走状態でチェッカーフラッグを受けた。
2005年鈴鹿はライコネンにとってMcLaren在籍時最後の勝利となった
2005年鈴鹿はライコネンにとってMcLaren在籍時最後の勝利となった© Clive Mason/Getty Images
キミ・ライコネン
レース:2005年日本GP
スタート順位:17位
決勝レース順位:優勝
前戦ブラジルでフェルナンド・アロンソ(当時Renault)にドライバーズタイトルをさらわれたキミ・ライコネンは、失うものが何もない状態で2005年日本GPの舞台である鈴鹿サーキットに乗り込んだ。予選セッション後半に降り始めた雨のせいで予選17位に沈んだ彼は、アロンソとのタイトル争いに敗れてすっかり燃え尽きたものと思われても仕方なかった。
しかし迎えた日曜の決勝レース、ライコネンは一世一代の素晴らしいレースを見せる。鈴鹿での決勝コースレコードを叩き出しながらみるみるうちにポジションを上げていった彼は、レースも大詰めとなった局面でトップを走るRenaultのジャンカルロ・フィジケラの背後に追いつく。そして、しばしの息詰まる攻防戦を経たあと、ライコネンは遂にファイナルラップのターン1でアウトサイドから豪快にフィジケラを仕留め、大逆転で優勝を果たしたのだった。
パニスにとってキャリア唯一の勝利となった1996年モナコ
パニスにとってキャリア唯一の勝利となった1996年モナコ© Pascal Rondeau/Getty Images
オリビエ・パニス
レース:1996年モナコGP
スタート順位:14位
決勝レース順位:優勝
今回紹介している数々の逆転劇の中では、14位という予選順位は決して低いポジションには見えないかもしれない。しかし、ただでさえオーバーテイクが困難とされるモナコの市街地サーキットが舞台であったことを考えると、パニスによる大逆転劇はほとんど奇跡のようにも思えてくる。
母国チームであるLigierのマシンを駆るこの無骨なフランス人ドライバーのキャリア唯一の勝利は、レースリーダーたちが相次ぐクラッシュやメカニカル・トラブルに見舞われたクレイジーなレースで達成された。パニスがチェッカーフラッグを受けた際、このモナコのコース上を走行していたマシンはパニスを含めわずか3台。F1史上屈指のサバイバル・レースを制したのは、予想外のダークホースだった。
ワトソンの予選22位からの優勝という記録はいまだ破られていない
ワトソンの予選22位からの優勝という記録はいまだ破られていない© Rainer W. Schlegelmilch / Getty Images
ジョン・ワトソン
レース:1983年アメリカ西GP(ロングビーチ)
スタート順位:22位
決勝レース順位:優勝
実は、この前年にあたる1982年デトロイトGPでもジョン・ワトソンは予選17位スタートからの優勝を果たしている。しかし、この1983年ロングビーチで行われたアメリカ西GPにおけるワトソンの勝利は、F1史上で最も低い予選グリッド位置からのレース優勝として今も歴史に刻まれている。
当時McLarenをドライブしていたワトソンと彼のチームメイト、ニキ・ラウダは共に予選でセットアップ・バランスに苦しみ、ワトソン22位/ラウダ23位という結果に終わった。しかし、決勝レースへ向けてタイヤ戦略にアドバンテージを見出したMcLarenの2人のドライバーは、決勝レースでは一転して素晴らしいペースで追い上げ、なんとワトソンとラウダの2人で1–2フィニッシュを達成した。
更に印象的だったのは、1位ワトソンがチェッカーを受けた際、2位ラウダにほぼ30秒近いタイム差をつけて優勝したという事実だ。ちなみに、3位ルネ・アルヌー(Ferrari)に対しては1分以上もの大差をつけていた。
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