フィックスギア
大企業と対峙するSUNTOUR(サンツアー)の反骨精神|自転車パーツ連載Vol.4
第4回目には、元・最速メッセンジャーのHAL氏が登場。 ようこそ、バイシクルシーンに精通する重要人物が、今も手放せない“とっておきの日本製プロダクト”の魅力を紐解く連載【Made In Japan】の世界へ!
※本稿は2018年4月にインタビュー&執筆されたものです
ジャパンクオリティのプロダクトを生み出す名工を探訪し、その人がこれまでに手がけたとっておきの“マスターピース”を紹介してきた同連載。
第4回目からは少しだけアプローチを変え、バイシクルシーンに精通するキーマンの元を訪ねてみる。
彼らに今も手放せない“とっておき”を紹介してもらい、そのストーリーとともにMADE IN JAPANプロダクトの魅力に迫りたい。
まず最初に登場するのは、かつて“日本最速の男”として東京のストリートシーンを誰よりも早く駆け抜けた元メッセンジャーのHAL氏。
10数年前に日本で空前のムーブメントとなったピストブームの立役者としても必ず名前の上がるシーンの重要人物だ。
そんな彼が『日本が世界に誇るプロダクト』、『自身が最も愛したパーツ』として選んだのは、
自転車メーカー、サンツアー
が手がけたプロダクトだった。
まずは、HAL氏とサンツアーとの出会いから聞くと、今からおよそ20年ほど前、彼がメッセンジャーとしてのキャリアをスタートさせた24歳の頃にまで遡る。当時の日本ではまだ、競輪選手の商売道具でもあるピストバイクを街乗りとして使うメッセンジャーが限りなく少なかった時代。
「その頃は僕もまだまだ、ピストバイクに関して素人で知識不足だったんです。なので、カラビンカの田辺さんや赤羽あたりにあるヤナギサワ、田端にあるアマンダの千葉さんと、色々なビルダーさんのところに行ってお話を聞いていたんです。
当然ですが、どなたも造詣が深く、かなりマニアックなお話が聞けて勉強になりました。そんな中で僕が一番グッときたのが、中野浩一選手が10連覇していた時にずっと愛用していたことでもお馴染みのジャパンブランド、サンツアーのお話です」
「これは、僕が生まれるか生まれないかの頃の話なんですが」と前置きしながら教えてくれたのはこんなストーリーだった。
「シマノやカンパ(カンパニョーロ)がトータルコンポーネントという形で躍進してきた時代。他にも小さな会社は色々とあったんでしょうけど、とにかくこの2社が2大巨頭として君臨していたそうです」
コンポーネントとは、1970年代前半にシマノが取り入れた、自転車パーツをセット販売する販売方法。以前までとは違い、変速機やギア、ハブといった主要部品を各専門業者に発注するのではなく、同じブランドの同一グレードに統一することでより高いパフォーマンスが発揮できることが狙いのひとつ。この仕組みが功を奏し、シマノは世界のトップメーカーとしての立ち位置をますます不動のものにしていく。ただその一方、専門のパーツメーカーにとっては、自分たちの立ち位置を脅かす存在となった。
「日本には素晴らしいパーツメーカーが沢山あるけど、いくらパーツの性能が優れていても、コンポーネントじゃないとその2メーカーに太刀打ちできなかったそうです。そこで、対抗する形として、マエダ工業が音頭を取る形で、クランクのスギノやペダルの三ヶ島、ブレーキの吉貝機械金属と、各専門業者さんがタッグを組んで出来た集合体がサンツアーというブランドです。
各パーツメーカーがそれぞれ得意とする自社製品を持ち寄ったり、サンツアー用に新しくパーツを開発したりしてトータルブランドとしてリリースしていたらしいです。もちろん、シマノやカンパのプロダクトは素晴らしいですが、僕はそんなサンツアーの取り組みにどこかパンク精神のようなものを感じたんですよね。男のロマンというか何だか格好よくないですか?」
どうしても太刀打ちできない大敵に小さいながらも知恵や技術を最大限に生かして対抗する、そんな技術者たちの反骨精神のようなものに何よりも惹かれたと話す。
そんなサンツアーのプロダクトとしての魅力は、一体どういったところにあるのだろうか。
「使い始めた動機は、そういったストーリーからなんですが、徐々にプロダクトとしての魅力も分かってきて。例えば、サンツアーの最大の魅力は“研磨の精度”って言われてるんですよ。他のメーカーに比べても素晴らしく良かった。
考えても見れば、競輪はゴール近くだと、時速70キロ、80キロも出る競技。選手の技術が問われることはもちろんですけど、自転車のものすごく細かな部分がその勝敗を左右することもある。そこで重要になってくるのが、金属同士が擦り合う部分の100分の1、1,000分の1の精度なんですよ。だからこそ、素晴らしく研磨されたサンツアーのプロダクトは早い」
競輪選手ではないけれど、メッセンジャーとして東京の街を誰よりも速く駆け抜けたHAL氏が語ると何だかもの凄く力強くて説得力がある。
話が多少前後するが、そんなサンツアーは、HAL氏がメッセンジャーのキャリアをスタートさせた頃にはすでに存在していなかったそう。正確には、形態を変えた。
「どうやら、音頭を取っていた前田鉄工所の経営がバブルくらいに傾いて。今も会社としてはSRサンツアーという名前で存在してることはしてるんですけれど、その当時のサンツアーとは全くの別物。2000年代にはすでに現行を買うことができなかったんです。なので自転車屋を回っては、デッドストックを見つけると即買いして集めてました。
コレクターではないので実際に使ってましたが、あまり仕事で使いすぎて磨耗するのもアレなので、勝負用パーツとして大切なレース(世界的なメッセンジャーの大会など)に参加する時に欠かさず使っていましたね。いわば僕にとって勝負用パーツ。今は現役を引退したので使うことは少ないですが、同じ時代を戦ってくれた相棒のような存在として大切にストックしています」
一時期は、シマノやカンパを凌ぐ製品を産み出していたサンツアー。しかし残念なことに、2大巨頭は今もシーンの最前線で活躍をしている。サンツアーは勝負には負けた。
ただ、かつて愚直なもの作りを続けて大敵と対等に戦った技術者がいた。その頃に生まれた少年は、後に先輩から聞いたストーリーに心を打たれ、メッセンジャーのトッププレイヤーとして愛用することに。やっぱり、優れたものは理屈抜きで人の心に届く。そして、人から人へ語り継がれていく。
だからこそ、サンツアーの物語はこれからも、時代を越えて次代へ受け継がれていくに違いない。
◆Information
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