A photo of Paul Newman in his racing suit, by his car, getting ready to race the 1979 24 Hours Of Le Mans race.
© Getty Images
Motoring

モータースポーツシーンでも有名なセレブリティ 7人

フランキー・ムニッズからポール・ニューマンまで、レーシングドライバーになる夢を叶えた映画スターやミュージシャンたちを紹介しよう。
Written by Sammy Lee
読み終わるまで:9分Published on
モータースポーツシーンのトップスターたちがA級セレブライフを手にし、無意識または意図的に恥ずかしい姿をパパラッチされている中、一部のエンターテイメントシーンのグローバルスターたちが逆方向に進み、汗臭くてオイルまみれのレーシングドライバーライフを手に入れようとしている。
どうやら、セレブモータースポーツの世界は繋がっているようだ。
自宅ガレージにヴィンテージなバイクとスーパーカーをずらりと並べるジェイ・レノリュダクリス、またはハイスピードでサーキットを攻めるMr.ビーンジョディ・キッド(英国人女性ファッションモデル)、トム・クルーズアダム・カローラ(コメディアン)など、スピードをシリアスに追求している著名人は数多く存在する。
今回は、ポップカルチャーとモータースポーツのクロスオーバーの中で、我々に特に大きな印象を残した(そして最も成功した)例をいくつか紹介しよう。

フランキー・ムニッズ(俳優)

2000年から2006年まで米国で放送されたシットコム『マルコム in the middle』でフランキー・ムニッズが演じた役どころは、ウィルカーソン家の中で最も成功しそうな男の子だったが、同シリーズ終了後にムニッズはモータースポーツの世界で勝者になるという壮大な野望を立てた。結局、彼がモータースポーツの頂点に立つことはなかったが、いくつかのハイライトを残した。
2001年、ムニッズはデイトナ500でペースカーをドライブし、さらに2004年にはカリフォルニア州ロングビーチで開催されたToyota Pro / Celebrity Raceに招待された。その1年後の2005年、彼は同レースで総合3位を獲得し、セレブ最上位となった。
これらのパフォーマンスが評価され、当時20歳だったムニッズはJensen Motorsportと契約を交わし、2006シーズンのフォーミュラBMW USA選手権参戦を決めた。まさしく少年の夢が現実になったというわけだ。
2007年、ムニッズはチャンプカーのアトランティック・シリーズへ転向し、2009シーズンまで同シリーズを戦った。レーシングドライバーとしてのキャリアに終止符を打つことになった2009シーズン、Team Stargate Worldsのマシンをドライブした彼は全レースでトップ10入りを果たす健闘を見せた。
2004年ロングビーチ:セレブリティ・レースに参戦したフランキー・ムニッズ

2004年ロングビーチ:セレブリティ・レースに参戦したフランキー・ムニッズ

© Jonathan Alcorn / Contributor / Getty Images

アンドリュー・リッジリー(ミュージシャン / 元ワム!)

1980年代に大人気を博したワム!ジョージ・マイケルの相棒として活躍したアンドリュー・リッジリーは、1990年代以降は大衆の前から完全に姿を消しており、現在は英国コーンウォールに隠居しているが、それ以前は本格的なレーシングドライバーとして活動していた。
グローバルなポップスターとして成功したあと、突如としてF3レーシングを究めようと決意したのだ。
1985年に英国のルノー 5シリーズに参戦したリッジリーはモナコへ移住し、1980年代中盤にはDavid Price RacingからフランスやドイツのF3選手権に参戦した。しかし、思ったような成績は残せず、参戦した8レースの大半でクラッシュを喫したリッジリーは、スポンサーを失ってしまった。

ポール・ニューマン(俳優)

同じくスピードの悪魔に魅入られたアンドリュー・リッジリーと奇しくも同じ誕生日だが、彼より38年も前に生まれたニューマンは、ハリウッド出身のレーシングドライバーの究極と呼べる存在だ。
ジェームズ・ディーンスティーブ・マックイーンジェームズ・ガーナージーン・ハックマンなど、俳優出身のレーシングドライバーは数多く存在するが、その中でもトップと言えるのがニューマンだ。
ニューマンはレースデビュー当初こそ酷評されたが、辛抱強くレースに打ち込み続け、やがてSports Car Club of America(SCCA)が主催するレースシリーズでいくつも勝ち星を挙げるまで成長した。
またニューマンは、あのマックイーンでさえ成し遂げられなかったル・マン24時間レース参戦も果たしている。もちろん、スクリーンの中ではなく現実世界の話だ! 尚、ポルシェ935をドライブした1979年のル・マンでは総合2位・クラス優勝を果たしている。
ニューマンは1980年代を通じてBob Sharpe RacingからTrans Amシリーズに参戦し、さらには盟友マックイーンをはじめ、The Monkeesのマイケル・ネスミス、米国ハードロック界の重鎮テッド・ニュージェントなど数多くのセレブたちと共に伝説的オフロード・ラリーレイドイベント、バハ1000にも参戦した。
レーシングドライバーとしてのキャリア晩年は、1995年デイトナ24時間レースクラス優勝を果たして同レースの史上最年長ウィナーとなった。そして、それから10年後の2005年に81歳で同レースのポールポジション(!)を獲得したあと、レーシングドライバーとしてのキャリアに終止符を打った。
1979年ル・マン24時間に参戦したポール・ニューマン

1979年ル・マン24時間に参戦したポール・ニューマン

© Keystone/Getty Images

ウォルター・クロンカイト(TV司会者)

米国の良心(the most trusted man in America)」とも称されたウォルター・クロンカイトは1960年代から1970年代にかけてCBSで活躍したニュースアンカーで、番組の締めのコメント “今日はこんなところです(and that's the way it is)” が有名だった。
しかし、米国のお茶の間に世界情勢を伝えることだけがクロンカイトの情熱ではなかった。彼はモータースポーツ狂でもあった。
インディアナポリス500で大観衆に混じって観戦する姿がよく目撃されていたクロンカイトは、自らも熱心にモータースポーツに取り組んでいた。彼は米国北東部の様々なレースイベントで自前のボルボ PV444をドライブしており、1950年代後半にはLittle Le Mansと銘打たれた耐久レースにも参戦していた。
1959年、クロンカイト率いるチームはランチア・アッピアを擁してセブリング12時間レースクラス5位入賞を果たしたが、クロンカイトはレースでのドライブを担当しながらラジオ用レポートをまとめる仕事もこなしていた。結局、そのレポーター業が成功し、クロンカイトはレース活動を断念した。
1959年Firecracker 250でペースカーをドライブするウォルター・クロンカイト

1959年Firecracker 250でペースカーをドライブするウォルター・クロンカイト

© RacingOne / Contributor / Getty Images

ジョニー・アリディ(俳優 / 歌手)

2020年からサウジアラビアに舞台を移すオイルと泥にまみれたラリーレイド、ダカール・ラリーは、数あるモータースポーツイベントの中で最もグラマラスから遠い存在と言えるだろう。
しかし、米国のバハ1000と同様、ダカールは「フランスのエルビス」と称されたロックンロール・レジェンド、ジョニー・アリディをはじめとする数々の向こう見ずなアマチュアレーサーたちを魅了してきた。
ラリー経験がゼロだったアリディだったが、モロッコ・ラリーを観戦して刺激を受けたことで2002年ダカール・ラリー参戦を決意した。当時59歳のアリディはダカール通算3勝を誇る経験豊富なコ・ドライバーだったルネ・メッジと組んで総合49位で完走、ダカール・ラリーの人気再燃にひと役買った。
2017年のアリディの死去の際は、フランス全土が悲しみに包まれた。前述のダカール・ラリー参戦時、ビバーク中にフランスのTV局からインタビューを受けたアリディは次のような印象的なコメントを残している。
「1時間15分ロスしていなければ、1時間15分前にここにいたはずだ」
2002年ダカール・ラリーに参戦したジョニー・アリディ

2002年ダカール・ラリーに参戦したジョニー・アリディ

© Getty Images

シェーン・リンチ(シンガーソングライター / 俳優)

ローナン・キーティングをフィーチャーし、世界中で250万枚以上も売り上げたアイルランド出身のボーイバンドBoyzoneのメンバー、シェーン・リンチもプロフェッショナルなドリフトレーサーとして平均以上のキャリアを築いた。
その “副業” の実績が非常に優秀なため、リンチがポップアイドルだった過去を知らないドリフトファンもいるかもしれない。
Boyzoneが活動休止を発表した2000年以降、リンチはブリティッシュGT選手権への参戦を開始した。
2002シーズンから2006シーズンにかけてEclipse Motorsport Teamのマシンを走らせたリンチは、2003年には優勝寸前までこぎつけたが、スピンしたマシンと接触して涙を飲んだ。しかし、彼のモータースポーツキャリア最大の成功は次に挑戦したカテゴリーでもたらされる。
リンチは長年に渡りブリティッシュドリフト選手権 — マシンを横に向けながらコーナーを立ち上がるモータースポーツスペクタル — に参戦している。
2008シーズン、ヨーロピアンドリフト選手権のシルバーストン戦でリンチとチームメイトのダニー・アイルスがクラッシュを演じ、2人のニッサン・スカイラインは廃車となったが、リンチが意欲を削がれることはなかった。
2007年から2019年にかけて、Boyzoneがいささか長い “再結成” を楽しんでいる間もリンチはTeam Japspeedからブリティッシュドリフト選手権への参戦を続けており、2016シーズンのリッデン・ヒルではVH45 V8エンジンを搭載して投入されたばかりのニッサン370Z2位入賞を果たした。

15分

第1話: 女王への第一歩

第1話あらすじ: カー・ユーチューバー、「クイーンB」の名で知られるベッキー・エバンスが、ドリフトレーサーを目指す過程をお届けする。ジェームズ・ディーンやマッド・マイク・ウィデットら現役レーサーたちのアドバイスのもと、まずレーサーになるための第一歩から始めることになる。 【ドリフトを巡る冒険(シーズン1/日本語字幕)】

英語 +9

ドリフトマスターズ・ヨーロピアン選手権をRed Bull TVでチェック!

パトリック・デンプシー(俳優)

現役で俳優とレーシングドライバーの二足のわらじを履き分けている人物といえば、パトリック・デンプシーだ。
ドラマ『グレイズ・アナトミー 恋の解剖学』の神経外科医デレク・“マクドリーミー”・シェパードと言った方が分かりやすいだろうか。
外科用メスを正確に使いこなすことが求められるその役柄と同様、デンプシーはレーシングカーのドライビングでも高い集中を見せながら、様々なカテゴリーのレースイベントに参加している。
デンプシーはこれまでにル・マン24時間レースWEC(世界耐久選手権)Grand-AmALMS(現在のIMSAスポーツカー選手権)、さらにはバハ1000にも参戦している。
また、2015年ル・マン24時間 GTE AMクラス2位2012シーズンALMS LMP2クラス年間総合3位など計9回の表彰台獲得経験を持つデンプシーは、自身のレーシングチーム運営にも参画している。
ホッケンハイムでポルシェ911 GT3をドライブするパトリック・デンプシー

ホッケンハイムでポルシェ911 GT3をドライブするパトリック・デンプシー

© Porsche

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