2018シーズンのF1は、ロマン・グロージャン、エステバン・オコン、ピエール・ガスリーがフル参戦しており、また、ワークスチーム / エンジンマニュファクチャラーとしてRenaultが参戦を続けている。
このようにF1でのフランスの存在感が再び増す中、2018シーズンは、フランスGPが新たにポールリカールに開催地を移して10年ぶりの復活を果たした。
これまでF1で最も大きな成功を収めたフランス人ドライバーといえば、4度のワールドチャンピオンを獲得したアラン・プロストに尽きるだろう。意外に思うかもしれないが、今もフランス人ドライバーのF1ワールドチャンピオンはプロストだけだ。
とはいうものの、F1のヒストリーブックを彩ってきた驚速・勇敢・恐れ知らずのフランス人ドライバーはプロスト以外にも数多く存在してきた。
我々が選んだフランス人F1ドライバー歴代ベスト6を以下に紹介しよう。
1. フランソワ・セベール
- 優勝回数:1
- 在籍チーム:Tyrrell
1973シーズン、ワトキンスグレンで行われたアメリカGP予選中の事故であまりにも早すぎる死を迎えたフランソワ・セベールについて、当時のNew York Timesは次のように記している。
「そのドライブと同じく人生を生き急いだフランソワ・セベールが、F1初優勝を記録した縁の地、ワトキンスグレンで命を落とした」
パリで宝石商を営む一家に生まれ、卓越したマシンコントロールの才能と映画スターのようなルックスを持ち、ファンにも愛想を絶やさなかったセベールは、チームメイトでもあり師でもあるジャッキー・スチュワートの後継者として、1974シーズンからいよいよワールドチャンピオンに挑むことが期待されていた。
しかし、ワトキンスグレンの予選で起きた非業の死は、当時のF1界からアイコンのひとりを奪い去った。
GP優勝はわずか1回だったが、セベールはF1に色彩豊かなレガシーを残した。インターネットをさっと検索してみれば、彼のハンサムなルックスとスタイルを物語る写真が無数に見つかるはずで、それらからは、古き良きレースの華やかさの象徴という彼のレガシーが感じられる。
2. ディディエ・ピローニ
- 優勝回数:3
- 在籍チーム:Tyrrell / Ligier / Ferrari
1970年代に登場した数多のフランス人ドライバーの中から頭角を現した童顔のスピードボーイ、ディディエ・ピローニ。彼はやがてFerrariドライバーとなり、念願だったチャンピオン争いに加わる存在にまで成長していく。
1978年にRenault Alpineを駆ってル・マン24時間レース優勝を果たし、自らの才覚を証明したピローニは、F1でもLigier在籍時の1980シーズンに初優勝を達成。その後、御大エンツォ・フェラーリから直接オファーを受け、Ferrariと契約する。
1982シーズンはピローニが主役になるはずだった。
直近のライバルでチームメイトでもあったジル・ヴィルヌーブを事故死に追いやった遠因はピローニのチームオーダー無視にあると多くの人々が依然として信じていたが、ピローニはフランス人ドライバー初のワールドチャンピオンを目指し、Ferrari 126C2と共にポイントを積み重ねることだけに集中していた。
しかし、ピローニのチャンピオンへの夢は絶たれた。ホッケンハイムで行われたドイツGPプラクティス中、彼は不必要な追い越しが原因となる大クラッシュを起こす。
彼の126C2は宙を大きく舞い、激しく地面に叩きつけられ、この結果、彼は両足複雑骨折の重傷を負ってしまった。
ピローニのキャリアに終止符を打った、あらゆる意味で不可解だったこのアクシデントは、スピードと度胸と呪縛に満ちたピローニの悲劇のストーリーを強調している。
3. ジャン・ベーラ
- 優勝回数:0
- 在籍チーム:Gordini / Maserati / BRM / Porsche / Ferrari
ジャン・ベーラは1度も勝利を挙げることはなかったが、ある年齢以上のフランス人ドライバーとモータスポーツファンの間では、彼こそが史上最高のフランス人ドライバーだという意見が根強い。
1921年ニースに生まれたベーラは、第二次世界大戦の影響で、キャリアピークになっていたはずの貴重な数年を犠牲にした。
しかし、1950年にF1世界選手権が創設されると馬力に劣るGordiniのマシンを勇猛果敢にドライブして注目に値するキャリアを築き始め、その後はMaserati、BRM、Porsche、Ferrariといった名門チームを渡り歩いた。
1950年代、スターリング・モスやファン・マヌエル・ファンジオといった強豪たちを向こうに回して戦ったベーラだが、度重なる大クラッシュを経験し、骨折はもとより片耳も失い、鼻には大きな傷跡が残った。
“のるかそるか” のクラシックなレーサー魂、勇敢なドライブ、いざという時に全てを投げ打つ豪胆さを併せ持っていたベーラは、今もフランスのモータースポーツ界の中で伝説的な存在として語り継がれている。
4. アラン・プロスト
- 優勝回数:51
- 在籍チーム:McLaren / Ferrari / Renault / Williams
フランス人ドライバー歴代最多勝を誇り “プロフェッサー” の異名を持つアラン・プロストは、統計上で見れば文句なしに史上最高のフランス人ドライバーだ。
この小柄なフランス人ドライバーとF1を戦った面々は、アイルトン・セナ、ネルソン・ピケ、ナイジェル・マンセルといったいずれも歴史にその名を残す偉大なドライバーたちで、プロストの通算51勝・タイトル4回という生涯成績は彼らを向こうに回して築き上げられたものだ。
プロストは彼らをことごとく打ち負かした。Renault に在籍した1980年代初頭に危険きわまりないグラウンドエフェクトカー(マシン底面を翼形状にして強大なダウンフォースを生み出す)を乗りこなすと、1980年代中期〜後半のターボ全盛期はMcLarenで2度のタイトルを獲得。全車NA(自然吸気)化された1989シーズンも、McLarenで3度目のタイトルを手にした。
さらには、ハイテクドライバーエイドを満載した1993シーズンのWilliams FW15Cさえもパーフェクトにマスターし、自身4度目のタイトルを獲得して有終の美を飾った。
レギュレーションがどのように変わっても、常にトップレベルで活躍を続けたプロストが、記録面も含めて史上最高のフランス人ドライバーであることに疑いの余地はなく、彼に肩を並べるフランス人ドライバーが今後出てくるとは考えにくい。
5. ルネ・アルヌー
- 優勝回数:7
- 在籍チーム:Martini / Surtees / Renault / Ferrari / Ligier
1970年代当時、フランスの国営企業だったElf石油は国内のレーシングドライバー育成プログラムを強力にバックアップし、パトリック・デパイエ、ジャック・ラフィー、ディディエ・ピローニ、アラン・プロスト、パトリック・タンベイなど、数多くのF1ドライバーを輩出した。
ルネ・アルヌーもまた、この “フランス黄金世代” のひとりだった。
弱小Martiniで前途多難なF1デビューを飾ったアルヌーだったが、1979シーズンのフランスGP(ディジョン)でFerrariのジル・ヴィルヌーブを相手に数週に渡るホイール・トゥ・ホイールの高速バトルを展開したことで一躍注目を浴びるようになる。ちなみに、このバトルは “史上最高のF1バトル” のひとつとして後世に語り継がれている。
Ferrariへ移籍した1983シーズンでは、マシンが完調の時は常に上位争いに絡み、自身最多となる年間3勝・表彰台4回を記録。チャンピオンシップ3位でシーズンを終えた。
6. ジャン・アレジ
- 優勝回数:1
- 在籍チーム:Tyrrell / Ferrari / Benetton / Sauber / Prost / Jordan
ジャン・アレジはティフォシ(熱狂的Ferrariサポーター)の永遠のお気に入りのひとりで、たった1回の優勝回数以上の実力を備えていた優秀なF1ドライバーだった。
フルシーズン参戦1年目となった1990シーズン、アリゾナ州フェニックスで行われた開幕戦で非力なTyrrellをドライブしたアレジは、McLarenのアイルトン・セナを抑え続けて25周に渡り首位を快走し、一躍脚光を浴びた。
この一世一代のパフォーマンスがFerrariの目に留まり、アレジは翌1991シーズンからFerrariへ移籍。その真紅のマシンはジル・ヴィルヌーブやミケーレ・アルボレートから引き継いだ伝統のエースナンバー27を纏うことになった。
そして彼は、1990年代前半のF1で最もエキサイティングなドライバーのひとりとして成長していく。
ウェットコンディションを得意とし、絶好調の時は誰も手をつけられない速さを発揮したアレジだったが、頻発するメカニカルトラブルに加え、感情的に熱くなりやすい性格が時として彼のリザルトを左右した。
優勝は1995シーズンのカナダGPのみという事実は、このドライバーの偉大さに見合うものではないが、通算32回の表彰台はフランス人ドライバー歴代屈指の成績だ。
