1993年、リン・ヒルがクライミング界を震撼させた。当時のクライミングはまだ男性中心のスポーツだったが、彼女はヨセミテ国立公園にあるエル・キャピタンの難関ウォールへ向かい、ロープを使わず手足だけで高さ900mのスムーズな花崗岩の壁面を完登した。
さらに素晴らしかったのは、彼女は女性初のエル・キャピタン完登に成功したばかりか、このルートをノンストップでフリー登攀した世界初の人物だったという事実だ。“ウォールは偉大なる平等主義者” と信じていた彼女は、自身のクライミングでそれを証明した。
「フィジカルがどれだけ異なっていても、ヴィジョン、熱意、努力を正しく組み合わせれば、どんなクライミングでも可能です」と彼女は語っている。「背が高かろうと低かろうと、男であろうと女であろうと、ウォールは誰でも自由に取り組める目標なのです」
エル・キャピタン登頂以降、ヒルは数多くの女性たちに刺激を与えており、そのような後進たちもそれぞれ偉大なクライマーとしての地位を築いている。今回は、レジェンドから新世代まで、世界最高の女性クライマー15人を紹介しよう。
01
サーシャ・ディジュリアン
国籍:米国
最強の現役フリークライマーのひとりに数えられることも多いサーシャ・ディジュリアンは、これまでに30回以上の女性初完登と8回の世界初完登を成し遂げている。
ヒルに刺激を受けたディジュリアンは7歳からクライミングを始め、18歳を迎える頃には、ジョスネ・ベレシアルトゥ(スペイン)とシャーロット・デュリフ(フランス)に続いて、ケンタッキー州レッドリバー・ゴルジにある難度9a(5.14d)ルートを完登した史上3人目の女性クライマーとなった。
「初登と女子初登はクライミングの歴史的なベンチマークですし、どちらも称賛されるべきだと思います。もちろん、男性より女性の方が世界初完登を数多く記録できるようになるのが理想ですが」と彼女は語っている。
ディジュリアンはその言葉通り、世界を旅しながら次々とビッグクライムを制しており、その中には、2015年のスイス・アイガー北壁「マジック・マッシュルーム(Magic Mushroom)」女性初完登や、2017年のヨセミテ「ザ・ミスティ・ウォール(The Misty Wall)」世界初完登などが含まれている。
02
マーゴ・ヘイズ
国籍:米国
28分
第1話: 限界突破
第1話あらすじ: アメリカ人女性クライマー、マーゴ・ヘイズが、男性でもかなり難しい世界最難関レベルのクライミングに挑戦。果たして彼女は、自らの限界を超え、女性クライマー史上初完登を達成することができるのか。【歴史を創るクライマーたち(シーズン4/日本語字幕)】
8歳から体操の国内大会レベルで活躍していたヘイズは、10歳でクライミングと出会い、Team ABCでボルダリングのスキルを磨いた。ラ・ランブラ完登までに、彼女は難度5.14a以上の14本のルートを制していた。
彼女はラ・ランブラ完登について「ラ・ランブラにチェーンをクリップした瞬間に溢れ出た感情には自分でも驚きました。いきなり涙がこぼれ始めたんです。喜びと信じられない気持ちが入り混じっていたんでしょう。あの瞬間は一生忘れません」と振り返っている。
ヘイズは1週間・アテンプト17回でラ・ランブラを完登すると、その後すぐにフランス・セウズにあるルート「リアライゼーション / バイオグラフィー(Realization / Biographie)も完登した。
25分
Flex
Matty Hong and Margo Hayes challenge themselves by ascending two of the hardest climbs in Colorado, USA.
03
ヤンヤ・ガンブレット
国籍:スロベニア
ヤンヤ・ガンブレットはコンペクライマーとして知られているが、アウトドアでも活躍しており、同じくスロベニア出身のクライマー、ドメン・スコフィッチと組んで全高360mのトルボヴリェ石炭火力発電所の煙突を完登している。
このようにIFSCワールドカップ外にも活動範囲を広げようとしているガンブレットの可能性は無限大に思える。なにしろ、彼女はシーズン全勝優勝を飾った唯一の女性クライマーであると同時に、東京でクライミング初の金メダリストに輝いた女性クライマーでもあるのだ。
04
アンゲラ・アイター
国籍:オーストリア
「女性が壁を打ち破り、限界を高みに押し上げている姿は本当に素晴らしいですね。刺激を与えてくれる女性アスリートは沢山いますし、新記録を達成している新世代も続々と現れています」と彼女は語っている。
アイターは11歳からスクールでクライミングを習い始め、17歳で初の世界タイトルを獲得。21歳でイタリアにある難度8c+(5.14c)ルート「クラウディオ・カフェ(Claudio Café)」に挑み、アウトドアルート初完登を果たした。
また、2014年には、当時の自己最高難度の難度9a(5.14d)ルート完登を母国オーストリアの「ハーデス(Hades)」と「ビッグハンマー(Big Hammer)」で達成。その1年後の2015年には、スペインの「ラ・プランタ・デ・シヴァ」挑戦を開始し、「エラ・ヴェッラ」完登に成功した。
2分
Angela Eiter breaks new ground in women's climbing
The action-packed story behind Angela Eiter's record-breaking 9b climb on La Planta de Shiva in Spain in October 2017.
05
キム・ジャイン
国籍:韓国
山を愛する両親に育てられたキム・ジャインは、兄がウォールに挑む姿を眺めながら幼少期を過ごした。当然ながら、その後、彼女も同じ道を歩み始めるのだが、やがて家族の誰よりも高く登れるようになったのだった。
ジャインは「人生のほとんどすべてをクライミングに費やしてきました。私にはクライミングしかないのです。だからこそ、クライマーは私にとって最高の仕事なのです。クライミングは私の運命であり、人生最愛の存在です」と語っている。
2009年以降、ジャインはその才能を活かし続けており、IFSCクライミングワールドカップでいくつもの優勝を手にしている。しかし、彼女の才能はコンペだけに留まらず、2017年5月には韓国・ソウルにそびえる全高555mのロッテ・ワールドタワーを完登した。
また、ジャインは2023年7月9日にシャモニーで開催されたIFSCクライミングワールドカップのリードを34歳で優勝し、女子リード優勝最高齢記録を更新している。
06
ジェシカ・ピルツ
国籍:オーストリア
ジェシカ・ピルツはクラミングを始めてからわずか1ヶ月で地元のコンペに参加し、クライミングキャリアをスタートさせた。
ピルツはすぐに国内のコンペで活躍するようになり、オーストリアのトップ4に入るようになると、ユースBカテゴリーでのインターナショナルコンペに出場し始める。その後、2011年から2015年にかけて彼女はインターナショナルレベルの6コンペでリードチャンピオンに輝いた。
2019年にコンバインド世界選手権で10位に入り、東京行きの切符を獲得したピルツは東京で7位入賞を記録。2023年にはコンバインド世界選手権で2位に入り、パリ行きの切符を獲得した。
07
オリアーヌ・ベルトン
国籍:フランス
2018年、オリアーヌ・ベルトンは12歳でV14(8B+)の課題解決の最年少記録を更新して注目のクライマーになると、2020年には15歳でフォンテーヌブローの「サタン・アイ・ヘルヴェテ・ロー(Satan I Helvete Low」(V15)初完登を記録した。
ヤンヤ・ガンブレットに勝利した経験を持つベルトンは優れたスキルを持ち合わせており、2023年には米国と韓国で開催されたIFSCクライミングワールドカップで2位に入っている。
より優れたクライマーになりたいというモチベーションに突き動かされている彼女は、そのモチベーションの大きさと同じくらいクライミングを楽しんでいる。
08
ナタリア・グロスマン
国籍:米国
6歳でクライミングジムデビューを飾ったナタリア・グロスマンは瞬く間にその魅力に取り憑かれ、週1回の習い事はすぐに本格的な競技活動へと変わっていった。
2019年にイタリア・アルコで開催されたIFSCクライミングユース世界選手権のボルダリングとコンバインドで2位に入ると、グロスマンのクライミングは完全なキャリアへと進化した。続く2020年には全米選手権のボルダリングを制し、2021年にはクライミング史上に残るスピードでワールドクラスのクライマーのひとりとして名乗りを上げた。
グロスマンはボルダリングのスペシャリストではない。リードの実力も十分な彼女は世界選手権で表彰台4回と2位1回を記録している。
09
アンジー・スカース=ジョンソン
国籍:オーストラリア
オーストラリア出身のアンジー・スカース=ジョンソンは幼い頃から木登りを楽しんでいた。しかし、7歳で木から落ちてしまうと、心配した父親がより安全かつ管理されている環境でその “登る” 情熱を探求できるように、地元のクライミングジムへ連れて行った。
スカース=ジョンソンの才能は最初から明らかだった。わずか9歳で米国・ケンタッキー州レッドリバー渓谷の「スウィングライン(Swingline)」(31 / 8b)初完登に成功した彼女は、それから1年後にはスペイン・ロデリャルの「ウェルカム・トゥ・ティワナ(Welcome to Tijuana)」(33 / 8c)も完登した。
スカース=ジョンソンは「クライミングとそのコミュニティが備えている可能性とチャンスから常にインスピレーションを得ています」と語っている。
10
ペトラ・クリングラー
国籍:スイス
“ネバー・ギブアップ” をモットーに掲げるペトラ・クリングラーは「たとえ次のムーブが不可能に思えても絶対に諦めません」と語っている。
クライマー家系の3世代目に当たるクリングラーは、6歳からクライミングを始めた。12歳でリードを初めて制したあと、彼女は次々とコンペを制するようになり、ボルダリングワールドチャンピオン、スイス選手権優勝(ボルダリング / スピード)、ヨーロッパ選手権3位(ボルダリング)などを手にしていった。
11
ショウナ・コクシー
国籍:英国
英国史上最高の成功を収めたコンペクライマーとして知られるショウナ・コクシーは4歳でウォールデビューを飾った。当時はまだウォールに挑めるだけの身長がなかったが、決して諦めなかった彼女はデビューから4ヶ月後にジム入会を許可された。この瞬間からクライミングが彼女のすべてとなった。
尚、コクシーは3番目に難しい8B+を完登した女子クライマー4人のひとりとしても有名だ。
英国史上初のスポーツクライマーのコクシーは東京に出場したが、長年患っていた背中の怪我の影響で準備ができなかったため10位で終わり、同時にコンペから引退した。しかし、地元や海外でのアウトドアクライミングは継続している。
ショウナ・コクシーの日常に密着した動画をチェック!
12
白石阿島
国籍:日本 / 米国
今回紹介する新世代クライマーの中でも最も若い白石阿島(しらいし・あしま)は弱冠13歳で女性2人目の難度9a / 9a+(5.15d / 5.15a)ルート完登に成功しており、現代最高のクライマーのひとりとして称賛されている。
白石は6歳の時に父親と共にニューヨーク・セントラルパーク内の「ラットロック(Rat Rock)」でクライミングを始め、ボルダリングで優秀な成績を残したあと、レッドリバー・ゴルジの「サザン・スモーク(Southern Smoke)」で難度8c+(5.14c)史上最年少完登という大記録を打ち立てた。
「筋力では男子に負けないとずっと思ってきましたし、自分に何ができるのかを示せる自信がありました。誰でも同じルートにトライできるという点がクライミングの魅力です。女子でもやれることを示せます」
2015年、白石は「オープン・ユアー・マインド・ダイレクト(Open Your Mind Direct)」で難度9a(5.14d)ルート初完登を記録した。「オープン・ユアー・マインド・ダイレクト」は最上部のホールドが崩壊していることから、難度が上げられる可能性があり、そのため白石が女子最高難度記録を更新する可能性もあったが、最終的に難度は据え置きとなった。
彼女はこのクライミングトリップでさらに高難度の「シウダード・デ・ディオス(Ciudad de Dios)」にも挑んでおり、女性2人目の難度9a / 9a+(5.14d/5.15a)ルート完登を果たした。近い将来、彼女が女子最高難度記録を更新する可能性は非常に高い。
白石のこれまでのストーリーを追ったRed Bull TVのプログラムをチェック!
24分
第5話: 若き大物たち 前編
第5話あらすじ: 15歳の白石阿島と16歳のカイ・ライトナーはクライマーの次世代リーダーで、スポーツ界に衝撃を与えた。このふたりの天才はノルウェーまで旅をし、人生で最も困難なクライミングに挑む。【歴史を創るクライマーたち(シーズン3/日本語字幕)】
13
女性レジェンドクライマー トップ3
田部井淳子
国籍:日本
田部井淳子(たべい・じゅんこ)は登山家であり、純粋なロッククライマーではないが、リン・ヒルのエル・キャピタン初登頂よりはるか前の1975年に女性初のエベレスト登頂を果たして歴史に大きな足跡を残した。
ジェンダーのステレオタイプが厳然と存在する時代に生まれた田部井は病弱な幼少期を送ったが、1969年に女子登攀クラブを設立し、女性登山家のパイオニアとなった。彼女がクラブを設立したのは、彼女との登山を男性陣に拒まれたことがきっかけだった。
彼女は日本人女性のみで編成された登山隊の一員としてエベレスト登頂に挑み、全員が雪崩に埋もれることなく登頂を果たした。エベレスト登頂後、彼女は次のように語っている。
「エベレスト女性初登頂を意識していたわけではありません。私はただ山に登っただけです。ですが、初の女性だったということで、私を取り巻く環境は大きく変わりました」
ヒルがザ・ノーズ(エル・キャピタン)登頂を果たす前年の1992年、田部井は七大陸最高峰(メスナー・リスト)の制覇を果たし、世界最高の登山家のひとりとしての地位を確実にした。
リン・ヒル
国籍:米国
1980年代から1990年代にかけてフリークライミングの先駆者となったリン・ヒルは、ビッグウォールに大きな足跡を刻んだ初の女性で、そのサイズは特大だった。エル・キャピタンのルート「ザ・ノーズ」で世界初のフリー完登を果たしたのだ。
「リスキーな決断を迫られるルートに挑みたかったのです。どんな登攀も、尻込みしたことはありません。自分ならできると思った登攀を選び、それに必要なことを全て実行しただけです」と彼女は語っている。
ヒルが米国のビッグウォールに挑んでいた頃、カトリーヌ・デスティヴェルはヨーロッパのビッグウォールに挑んでいた。そして1992年、彼女は女性初のアイガー北壁ソロ完登をわずか15時間弱で達成した。
ヒルは14歳でクライミングを始めたが、それからわずか4年でコロラド州にある難度7c(5.12d)のルート「オフィール・ブローク(Ophir Broke)」をフリー完登し、当時の女性最難関ルート攻略に成功。1993年に「ザ・ノーズ(The Nose)」を4日間で完登すると、その翌年にはわずか1日での完登を達成し、クライミングシーン全員を驚愕させた。
これらの登攀によって彼女は一躍スーパースターとなり、米国では『Sports Illustrated』誌の表紙を飾り、さらには人気トーク番組『Late Show with David Letterman』にも出演するなど、あらゆるメディアに登場した。
ヒルのザ・ノーズ挑戦の軌跡を追ったドキュメンタリー『Valley Uprising』のハイライト映像をチェック!
カトリーヌ・デスティヴェル
国籍:フランス / アルジェリア
フォンテーヌブローでのボルダリングとアルプスでのクライミングでスキルを学んだ彼女は、「女性初完登記録」最多所有者のひとりだ。彼女はフランス・ビュウーの「シュカ(Chouca)」、カラコルム山脈の「トランゴ・タワー(Trango Tower)」での登攀がとみに有名だが、彼女がその才能に相応しい尊敬を得るようになったのは、やはりアイガーでのソロ完登がきっかけだった。
「トランゴでの登頂を果たしたあと、"ジェフ(彼女のクライミングパートナー / 男性)が先導してたのだろう" と言う人がいました。これは真実ではありません。ですが、当時はまだ "君は女の子なんだから、僕たちについてくればいい" という風潮でした。アイガーは単独で登攀したので、疑う余地はありませんでした」
ベス・ロッデン
国籍:米国
19分
This is Beth
An intimate look beneath the success of legendary climber Beth Rodden, and her struggles and transformation.
ベス・ロッデンは1990年代にヨセミテのビッグウォール・シーンにその名を刻み、クライミング界最大の “ロックスター” のひとりとなった。
元々インドアクライミングに熱中していた彼女は、米国オレゴン州のスミス・ロック州立公園でアウトドアクライミングに開眼し、ルート「トゥ・ボルト・オア・ノット・トゥ・ビー(To Bolt Or Not To Be)」を完登。彼女の中にクライマーとしてのポテンシャルを見出したリン・ヒルからマダガスカルでのクライミングに誘われることになった。
その後、米国に戻った彼女はヨセミテに挑戦の場を移すと、クライミングシーンの神童トミー・コールドウェルと恋に落ち、クライミングシーンのゴールデンカップルとなった。
2000年、ロッデンとコールドウェルはエル・キャピタンの「ラーキング・フィアー(Lurking Fear)」で世界初フリー登攀を達成。その後、2人はキルギスタンで誘拐事件に遭遇し1年間クライミングへの情熱を失うことになったが、2005年に「ザ・ノーズ」史上2・3番目となるフリー登攀を記録した。
「ザ・ノーズの完登は長年の夢でした。私はリンがここを初完登した年(1993年)にクライミングを始めたからです。どんな大会に出ても、どこのジムに行ってもリンの "It Goes, boys.(まあこんなものよ、男の子たち)" という名言が書かれたポスターが貼られていました。私はエル・キャピタンが何なのかさえ知らないうちから『彼女みたいになりたい!』と思っていたのです」
2008年、ロッデンはロン・カウクをはじめとする多くのクライマーたちを拒否してきたヨセミテの最難関ルート(当時。難度8c+ / 5.14c)を完登。彼女はこのルートを「メルトダウン(Meltdown)」と名付けたが、彼女のあとに完登した者はいない。ロッデンのストーリーをもっと深く知りたい人は、コールドウェルのドキュメンタリー映像『The Dawn Wall』もチェックしてみよう。
▶︎RedBull.comでは世界から発信される記事を毎週更新中! トップページからチェック!
関連コンテンツ
