中村海斗
© Ayako Yamamoto
ランニング

青学駅伝・中村海斗|走るのが嫌いだった少年が、主将になるまで

長距離走ってキツいし大変。かつて走るのが嫌いだった中村海斗(なかむら・かいと)は今、駅伝強豪校・青学駅伝の主将としてチームの先頭に立っている。サッカー少年だった彼は、なぜ陸上を選び、箱根駅伝を目指すようになったのか。
Written by Keisuke Honda/ Edited by Hisanori Kato
読み終わるまで:9分Published on

中村 海斗(なかむら・かいと)

学年|4年生
出身校|世羅高校(広島県)

オリジナル缶

レッドブル エナジードリンク

Red Bull Energy Drink
記録|5000m:13:45.61(大学4年)、10000m:28:49.40(大学3年)、ハーフマラソン:1:02:08(大学3年)
中村 海斗

中村 海斗

© Ayako Yamamoto

01

陸上はサッカーのついで。走ること自体嫌いだった

中村が陸上を始めたのは中学1年生のとき。きっかけは、当時所属していたサッカーチームを指導するコーチのひと言だった。
「中学校の陸上部に入って体力をつけなさい」
中村にとって最初の陸上はサッカーに必要な体力作り。つまり、“ついで”のスポーツ。
「長い距離を走るのはキツいし楽しくないから、正直に言うと嫌でした。サッカーのためにしぶしぶ入部した感じですね」

© Ayako Yamamoto

この頃の中村の夢はプロサッカー選手になることで、クラブチームでの練習や試合に費やす時間が彼のすべてだった。
陸上部に出るの、しんどいなぁ......。
これが中村の本音。
サッカーで疲れ果てた体とそもそもの苦手意識が、走ることをさらに遠ざけていく。
気づいたときは、すでに幽霊部員。練習と言える練習はほとんどせず、まともに走るのは大会ぐらい。それでも、サッカーで鍛えられた地力は好成績を残すに十分な強さだった。
「5歳からサッカーを始めて、中学生になった頃から少しずつ限界を感じ始めました。必死にやっても結果が伴わないことで苛立ったり、逆に練習していない陸上でいい結果が出ることにモヤモヤする、そんな時期でした」
高校進学に向けて本格的に動き出す、中学3年生の夏時期。ちょうどその頃、中村は陸上の県大会出場を控えていた。いまだ目標が定まらない息子に、両親は優しく言葉をかける。
「これが最後になるかもしれないし、まずは目の前にある陸上をちゃんとやってみたら?」
そう言われて、中村は県大会までの数週間、初めて本気で練習に取り組んだ。すると、なんと県大会2位という結果に!

© Ayako Yamamoto

練習の成果? それとも、元々備わっていたポテンシャルの高さ? たぶん、その両方だと思う。
陸上部の顧問は、「お前なら強豪校でも活躍できる」と、中村の高い実力を認め続けた。
両親は、「一番になれる可能性があるのにそれを捨てるのはもったいない」と、背中を押した。
サッカーか陸上か......。いや、バドミントンって道も案外ありえるかも? やったことはないけど。なんてあれこれ悩んだ末、中村はついにサッカーに見切りをつけ、駅伝強豪校・広島県立世羅高校への進学を決意!
やるだけやって、無理だったらそのときにまた考えればいい。今は自分の可能性を信じてみよう。
02

負けず嫌いな自分に火をつけた、高2の都大路

世羅高校は全国屈指の駅伝強豪校。青学駅伝のOBには世羅高出身が何人もいる。青学駅伝を率いている原晋監督もその1人だ。
「入部前は厳しい部風を想像していたんですけど、実際には上下関係がほとんどなくて。仲間との距離が近い部で、居心地がすごくよかったですね」
走る=楽しいとは、まだ言い切れない。でも、新しい環境で練習に励む中、自分が変わっていく感覚に触れたのもたしかだった。
そして訪れる、ターニングポイント。
「2年生のときに、都大路(全国高等学校駅伝競走大会)で優勝することができました。この点についてはいい思い出なんですけど、チームのみんなが好記録をマークする中、自分の走りがあまりにもふがいなさすぎて......。『勝ったのに悔しい!』なんて気持ち、生まれて初めて味わいました」

© Ayako Yamamoto

チームは勝った。でも、自分だけが負けた。この経験が、これまで受け身だった陸上への向き合い方を大きく変えることになる。
「この日を境に、もっと上のレベルを目指したいと思うようになりました。駅伝が強い大学を意識し始めたのもこの時期です」
今のままじゃ、ハイレベルな大学駅伝の走りについていけない。練習量を増やして、自分をもっと鍛えるんだ! こう考えた中村は、積極的にトレーニングを積むようになった。
「やるからには一番強い大学で走りたいと思ったんです。一番強い大学に入れば、強豪校と何度だって戦えますしね」
負けず嫌いな自分の成長を試す、次の舞台。数ある大学の中から、中村は箱根駅伝の強者・青学駅伝に進む道を選んだ。
03

青学駅伝の洗礼。ケガに悩んだ1年間

青学駅伝という舞台で、新たな一歩を踏み出した中村。しかし、入部直後の彼を待ち受けていたのはあまりにも厳しい現実の数々......。
「ちゃんと準備してきたつもりだったんですけど、あまりの練習量に体が追いつかず、ケガが続いてしまいました。1年目は常にどこかしらを痛めながら過ごす日々でしたね」

© Ayako Yamamoto

高いレベル同士がお互いを高め合う、青学駅伝の環境。同期たちは次々とタイムを伸ばしていく。
自分はまだ、まともに走ることさえできていない。やると決めてここに来たのに、いったい何をしているんだろう。もどかしさは募るばかりだった。
「諦めるのは簡単でしたけど、その瞬間、周りにも自分にも負けたことになる。それだけは絶対に嫌でした。どんな逆境でも、『自分ならやれる。大丈夫』という思いがずっとあって。不思議ですよね、根拠なんて何もないのに(笑)」
彼を支えたのは、持ち前の反骨心。
秋頃、調子を取り戻しつつあった中村は、MARCH対抗戦の出場を志願。しかし原監督は、中村にこんな言葉を突きつけた。
“お前はこの1年間、何もしていない。目先のことや自分のやりたいことだけにとらわれて、苦しんだふりをしているだけ。本当に苦しんでいるのは、ちゃんと走ってきたやつらだ”
「すべてを見抜かれた気分でした。もちろん悔しさはありましたけど、その通りだとすぐに納得できて。こういった説得力のある言葉のチョイスが原監督のすごさなんだと思います」

© Ayako Yamamoto

原監督はこの後、チームの練習メニューとは別に中村用の練習メニューを組んで、走る土台を作れとアドバイスしてくれた。
約3ヶ月の間、中村はメニュー通り、長い距離を1人で根気強く走り続けた。地力が上がるにつれて、ケガも減っていった。これでまた走れる!
地道な努力が人を強くする。自分もみんなも、そうやって成長していた。青学駅伝の華やかな印象だって、地道な努力の上に成り立つもの。泥臭さこそ青学らしさ。このとき感じた思いは、今も彼の胸の中に深く刻まれている。
04

主将になって変わった、駅伝の価値観

青学駅伝の主将は、立候補制。中村は自ら望んで、箱根駅伝3連覇中の強豪校の先頭に立っている。でも、元々はリーダーを率先して引き受けるタイプじゃなかった。
「このチームの良いところはこれで悪いところはこれと、全体を見るクセがサッカーをやっていた頃からずっとあって。陸上を始めてからもそれは変わらず、青学駅伝で仲間たちと濃い時間を過ごす中では、『こうすればチーム全体が良くなるはず』といった自分なりの考えも生まれるようになりました。
それで、3年生になるときに学年リーダーに志願して。リーダーは得意じゃなかったんですけど、やれてよかったです。チームに対して自分ができることはたくさんあると気づけたので」
部員たちのさまざまな声を聞きながら、強いチームに成長していきたい。そんな思いを胸に、中村は4年生になるタイミングで主将に立候補した。ちなみに、主将に立候補したのは中村だけじゃない。現在副主将を務める平松も、中村と同じくチームをさらに良くしたいと考える1人として名乗りを上げていた。
4年生全員による投票、立候補者の2人による真剣な話し合いなどを経たがなかなか決まらず、最後に決め手となったのは “思いの強さ” だった。「自分のほうが強い。だから任せてくれ」。こうして主将・中村が誕生。チームのためのお互いの意見をぶつけ合った平松とともに、青学駅伝を支えている。
彼の過去を知る中学・高校の同級生や部活の仲間も、意外な“立候補”にびっくりしたという。原監督もまた、新チームの主将が中村になると聞いて驚いていたらしい。
「監督には僕が暗い人間に見えたみたいで、主将が暗くて大丈夫なのかと言われました。でも、普段は明るいほうなんです。暗いのは監督の前だけ(笑)。緊張も大きかったんだと思います」

© Ayako Yamamoto

そんな中村は主将として、どんなチームを作ろうとしているんだろう。ちなみに前年度の主将は黒田朝日。箱根駅伝でシン・山の神とまで呼ばれた人物は、圧倒的な走りとカリスマ性でチームを牽引した。
「去年の朝日さんも、その前の田中(悠登)さんも、それぞれのスタイルでチームを引っ張ってくれました。いろんな主将像があっていいと思うし、僕は僕らしく、いいチームを目指すだけです」
中村は部員たちと話し合い、今年の一次合宿のテーマに「家族になろう」を掲げた。
なぜ、家族だったのか。
「寮でずっと一緒に生活しているし、これもひとつの家族と言える気がして。自分の言いたいことを我慢せずにいられて、たとえ喧嘩になっても最後はちゃんと相手のことを尊重できる関係。それが僕たちの考える家族だったからです」

© Ayako Yamamoto

そして、もうひとつ。箱根駅伝に向けて、チーム全員の熱量を揃える必要があった。
「箱根駅伝のメンバーに選ばれる選手と選ばれない選手では、大会に対する熱量に差が出てしまうんです。これは自分自身もそうだったからよくわかるというか......。そこを変えたい思いがありました」
「チームメイト」じゃ、まだ届かない。「家族」になれば、自分以外が頑張っている姿を心から応援できる。
中村が思い出すのは、高校2年生の都大路。
チームは優勝して最高の結果だった。でも悔しかった。あの頃とはもう違う。青学駅伝の主将の役割は、箱根駅伝でチームを勝たせることだ。
「箱根の舞台で活躍したい気持ちがないわけではないんです。ただ、自分が区間賞を取るぐらいの活躍をしても、チームが負けるなら意味がない。自分が出場できなくても、チームが勝てるならそれが一番です」
負けず嫌いな性格は少年の頃から変わっていない。変わったのは、勝ちたいという気持ちの向かう先だ。
自分が誰よりも速く走るより、自分たちのチームが誰よりも強くなるほうが、楽しい。だから今は、全員で勝ちたい。その先に、箱根駅伝4連覇という大きな夢が待っている。

© Ayako Yamamoto

関連コンテンツ

青山学院大学駅伝チーム

プロフィールを見る