ランニング
青学駅伝・折田壮太|「折田世代」と呼ばれたランナーの箱根駅伝
中学生の頃に駅伝と出会った折田壮太(おりた・そうた)は、同期きっての高いポテンシャルを持ち、“折田世代”とも称される期待の星。そんなトップランナーにとって、駅伝はどんな存在なのか。
折田 壮太(おりた・そうた)
学年|3年生
出身校|須磨学園高校(兵庫県)
実績|第102回箱根駅伝(10区) 区間2位、第56回全日本大学駅伝(3区) 区間5位、第37回出雲駅伝(2区) 区間10位
01
寄せ集めチームでも楽しかった最初の駅伝体験
「僕が通っていた中学校では年に一度、いろんな部から走るのが得意な人を集めて駅伝大会に出場していました。長距離走は小学生の頃から得意なほうだったし、当時の自分は野球部のピッチャーでけっこう走り込んでいましたから、体力にも自信があって。それで出てみたいと思ったんです」
学校側にとっては、毎年行っている行事のひとつだったかもしれない。けれど、折田を含めて集まったメンバーたちは思いのほかやる気だった。
「せっかくやるなら、県大会出場を目指そう」
チームは一致団結し、高い目標を掲げて練習を開始。すると、地区予選を見事に突破して県大会出場を本当に叶えてしまった!
「レース終盤、デッドヒートの末にアンカーが1人抜いて。まるでドラマみたいな大逆転の勝ち方で、今でもよく覚えています。あの瞬間に初めて、みんなで走る駅伝の楽しさを知りました」
実は中学生の頃、折田は周りに比べて体の線が細く、重い球を投げたり、打球を遠くへ飛ばすことに対してコンプレックスを抱えていた。もしかして、自分は野球より駅伝のほうが合っているのかも。折田が箱根駅伝の中継映像を目にしたのは、そんなときだった。
「あれ? この人たち、走るの遅くない?」
もちろん、この折田の見立ては大間違い。駅伝中継ではランナーを追うカメラの性質上、実際のスピードが伝わりにくいところがある。箱根駅伝のランナーたちは1kmを3分前後、時速にすると約20km/hで駆けていて、本当はめちゃくちゃ速い。
「箱根駅伝のランナーになるにはハーフマラソン(約21km)を1km3分のペースで走ればいいと耳にして、なにも知らなかったからできると思っちゃったんですよね。すぐに中学校のグラウンドを使って試してみました。でも、ハイペースすぎて結局2kmぐらいしか保たなくて......。そのときに、箱根駅伝に出るって本当にすごいことなんだなと実感しました」
得意な長距離走で初めて感じた大きな壁。けれど、折田の表情はむしろ明るかった。
挑戦したいことができて、うれしかったのだ。
3年時の引退時期まで野球に励みながら、あの駅伝大会以降、陸上の練習も欠かさなかった折田。出場した陸上大会では上々の成績も残していた。そんな彼が進学先に選んだのは、中長距離や駅伝の強豪校で知られる私立須磨学園高校。地元・淡路島から2時間弱かけて神戸市まで通う日々がスタートした。
02
折田世代と呼ばれるようになるまで
新たな春を迎える時期。折田は須磨学園高校の陸上競技部に入部した。
トレーニングは積んできた。「やってやる!」と、気合いも十分。けれど、さすがは強豪校。1年生の頃は練習についていくだけで精いっぱい。鼻っ柱を見事にへし折られることになる。
「毎日が挫折の連続で、駅伝選手としてすごく弱い時期でしたね。ケガにも苦労しました」
そんな折田がトップランナーとしての頭角を現したのは、高校2年生の冬。箱根駅伝を走る上で指標のひとつになる、5000m走で13分台をマークするようになり、3年時には当時の日本人高校歴代2位となる13分28秒78という記録を叩き出す。都大路(全国高等学校駅伝競走大会)でもエース区間の1区を任されて区間賞を獲得した。
折田壮太の名前が、陸上界で大きな話題を呼ぶ。きっと、大学駅伝のニューヒーローになるに違いない。彼に期待を寄せるメディアから、いつしか「折田世代」と称されるようにもなっていた。
「そう言われていることは当時から僕の耳にも届いていました。だからといって、『自分が一番強い!』と思ったことはなかったです」
同期には強い選手がたくさんいる。負けていられないという気持ちのほうが大きかった。「折田世代」。そう呼ばれることで、競争心にいっそう火がついた。
せっかく世代の代表と言ってくれるのならば。
もっと、インパクトのある走りがしたい。
もっと、いい記録を出したい。
そして、チームで勝ちたい。
3年時の都大路で区間賞を獲得した折田。しかし、優勝は叶わなかった。彼には、みんなで走る楽しさを知ったことで駅伝に夢中になった経緯がある。だからこそ、一致団結して目指してきた全国大会でメダルを獲得できなかったことが、なによりも悔しかった。
「大きな駅伝大会での優勝経験が一度もなかったんです。だから、その瞬間に見られる景色を知りたいって気持ちはすごく強かったですね」
高校生活で果たせなかった思いは、次のステージに持ち越されることになった。
大学に進学。箱根駅伝という一番の舞台で優勝してみせる。
「箱根駅伝はチーム内の選ばれた10人しか走れないレース。自分が走ることを最優先に考えるなら、常連校じゃなくてシード前後の大学のほうが走れる可能性はまだ高くなります。でも、僕が見たかったのは、優勝した瞬間の景色。自分が出たい気持ちはもちろんありますけど、たとえ出られなかったとしても優勝を経験できるチームにいたいという考えもありました」
まだ一度も見たことのない景色を見るために。
折田は箱根駅伝の強豪校、青学駅伝に進む道を選んだ。
03
箱根で活躍する同期に直面。自分もあの舞台に立ちたい
折田が青学駅伝に入部した年は原監督が「最強軍団」と謳った年。折田と同じく5000mを13分台で走る同期が何人も加入し、箱根駅伝の2連覇に向けて万全のチーム体制を整えていた。高まる期待のなか、折田は高校時代とは比べものにならない練習量に体が追いつかず、疲労を蓄積。早くレースに出て結果を残したい気持ちとは裏腹に、なかなか思うように走れずにいた。
「足のいろんな箇所が疲労で骨折するし、心と体もチグハグ。ずっと焦っていた1年間でした」
冗談に聞こえるかもしれないけど、日頃の走り込みなどで高い負荷をかけている駅伝選手にとって、疲労による骨折は無縁ではない。どのくらいのトレーニングを積むと自分の体がどうなるのか。ランナーたちは競技生活のなかで、体と向き合いながら学んでいく。折田もまた、そうだった。
そして迎えた、折田にとって初めての箱根駅伝。同期の小河原陽琉は1年生ながら最終10区を任されていた。
「僕は10区の給水担当。先頭を走るバイクとともに近づいてくる小河原の姿を見たとき、めちゃくちゃかっこよくて鳥肌が立って。それと同時に、やっぱり羨ましくもあった。自分も早くこの舞台に立ちたいと強く思いました」
小河原はそのままトップでフィニッシュして区間賞を獲得。青学駅伝は2連覇を達成した。
折田が追い求めてきた、大舞台で見る優勝の景色。
最高の気分だった。でも、次こそは自分で走るんだ。
そう誓った折田は、ケガのケアに努めながら、質の高い練習を継続することに集中した。
それから1年後。折田は箱根駅伝のメンバー入りを果たす。任されたのは、昨年に小河原が走った10区。その小河原は1区を走り、同期の飯田翔大が2区、佐藤愛斗が7区を走った。
序盤は苦戦を強いられたが、5区でトップに立つことに成功。復路では一度も首位を譲ることなく、タスキは折田の元へ。折田もまたアンカーの大役を果たし、トップでフィニッシュテープを切った。10時間37分34秒。青学駅伝は大会新記録となる総合タイムで箱根3連覇を飾った。
「僕にとって青学駅伝の同期はお互いを高め合える存在だと思っていて。僕らが4年生になったときに、この世代は“誰の世代”だったのかはっきりさせよう、なんて話を同期みんなで話すこともあります。僕としては、走りだけじゃなくてSNSのフォロワー数でも同期には負けたくない(笑)。今思えば、1年生のときは結果を出すことにとらわれていてキツかったです。楽しく走れているときって、どんなにキツくてもやっぱり楽しいが勝るんですよね」
競技者である以上、結果を求めるし、求められる。でも、その気持ちが強くなりすぎると、走る楽しさを見失ってしまう。仲間と駅伝に出て走ることが楽しかったあの頃。折田は自らの原点を思い出していた。
04
自らの足で知らない世界に出会えるのが駅伝の楽しさ
得意だった長距離走から始まった折田の駅伝ストーリーは、「楽しい」という気持ちでつながっている。チームで勝つのはもちろん、同期やライバルとの競い合い、走ることで生まれるコミュニケーション、知らない世界との出会い。その1つひとつを全部楽しめるのが、折田にとっての駅伝だ。
「久しぶりに会う島のみんなに『折田やるじゃん!』って盛り上がってほしかったので、成人式までに箱根駅伝を走っておきたい気持ちはありましたね(笑)。おじいちゃんやおばあちゃんも『お孫さんすごいね』って周りから言われるみたいで、そういうのもうれしくて」
「ライバルを1人に絞るなら、東洋大の松井海斗。インターハイに都大路、世界クロカンなど、高校時代から数えたらもうわからないぐらい何度も戦ってきました。試合になると意識しあって口もきかなくなりますけど、普段は仲が良いんですよ」
自分を信じてくれる人がいるから強くなれる。そして、強くなることで見られる景色もある。
「今年の夏は、レッドブルからのサポートのおかげでオーストリア合宿を行うことができました。初めての海外合宿だったんですけど、これは青学駅伝が強いチームだからできたことだと思っていて。そうやって新しいことが経験できたり、知らなかった世界に運んでくれるところも駅伝の楽しさだと思います」
駅伝を続けていなければ出会えない景色がある。だから折田は、国内のレースだけでなく海外のレースにも積極的に志願している。
「飛行機に乗って知らない場所に訪れるだけでワクワクしますよね。さらに現地では、いろんなことが経験できて。自分では当たり前だと思っていたことが、世界では当たり前じゃない。それを知るだけでもすごく新鮮なんです」
思えば、青学駅伝に入部が決まり、東京に出てきたときもそうだった。高層ビルが立ち並ぶ街を見て驚いたあのときの感覚は、今でも忘れていない。
いつかは淡路島に戻り、実家の家業を継ぐことを考えているという折田。その日が訪れたとき、どんなかたちであれ、彼は走り続けているはず。その先にどんな景色が待っているのかを、自分の足で確かめるために。
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