ヘンリ・トイヴォネンはデータ偏重主義のラリーファンのヒーローではない。実際、このフィンランド人ラリードライバーの通算戦績はWRC通算3勝・表彰台9回・チャンピオン0回で、決して傑出しているわけではない。
では、元ラリードライバーで2021シーズンからトヨタのWRCチーム監督を務めるヤリ=マティ・ラトバラが自身のヒーローを尋ねられるたびに、一切の迷いもなくヘンリ・トイヴォネンの名を挙げるのは何故なのか?
トイヴォネンに関する沢山の本を読み、沢山の映像を見た
「私が思うに、トイヴォネンはラリー史上最も勇敢なドライバーのひとりだ」とラトバラは切り出す。
「トイヴォネンに関する沢山の本を読み、沢山の映像を見た。グループB時代のラリーが実際にどのようなものだったのか、彼から直接話を聞けたら最高だっただろう」
1956年8月25日、ヘンリ・トイヴォネンはフィンランドの “ラリーの聖地”、ユヴァスキュラに生まれた。ヘンリの父パウリ・トイヴォネンはシトロエンのワークスラリードライバーで、重くて大柄なシトロエンDSを駆り1960年代のラリーシーンで名を馳せていた。
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1975シーズンにWRCデビューを飾ったトイヴォネンは、1980シーズンのロンバードRACラリーでコンパクトなタルボ・サンビーム・ロータスを駆ってハンヌ・ミッコラやティモ・マキネンといった経験豊富な同郷のスタードライバーたちを破って優勝し、一躍脚光を浴びた。
その後トイヴォネンはオペルでもドライブするが、彼のレガシーが揺るぎないものとなったのは、ランチアのファクトリーチームに抜擢され、流麗なルックスながら旧態依然となりつつあったグループB仕様のランチア037をドライブした1984シーズンだった。
後輪駆動の037を駆ったトイヴォネンは、母国ファンの前で獲得したラリー・フィンランド3位など表彰台2回を記録。そして1985シーズン終盤、ランチアが037に代わる新型として550馬力という猛烈なパワーを誇る4輪駆動マシン、デルタS4を投入すると、トイヴォネンは飛躍の時を迎える。
S4のデビュー戦となった1985シーズン最終戦RACラリーを制したトイヴォネンは自信と共に1986シーズンを迎えると、開幕戦モンテカルロで首尾よく勝利を収めた。
ヘンリはデルタS4に対して非常に特別な思い入れがあった
「個人的な意見だが、ヘンリはS4を一番理解していたドライバーだった」とRedBull.comの取材に対して語ったのは、1980年代にランチアでチームマネージャーを務めていたニニ・ルッソだ。
「S4は難しいマシンだった。他のドライバーたちが何の思いも持っていなかったとは言わないが、ヘンリは彼らよりもS4に入れ込んでいた。非常に特別な思い入れがあった」
1986シーズン第2戦インターナショナル・スウェディッシュ・ラリーでのトイヴォネンはエンジントラブルが原因でリタイアし、続く第3戦ラリー・ド・ポルトガルではフォードRS200が観衆に突っ込む事故を起こしたことで全ワークスチームが競技から撤退した。
トイヴォネンはターボブースト無制限となった獰猛なグループBマシンの強大なパワーとグリップを楽しんでいたに違いないが、その一方で非常に不吉な影がすぐそこまで忍び寄ってきているというラリーコミュニティ内のムードは払拭しがたくなっていた。
そのような状況でも、トイヴォネンは第3戦ポルトガルを前にエストリル・サーキットで行われたテストで同年のF1ポルトガルGPの予選トップ10圏内に相当するタイムをデルタS4で叩き出したと伝えられている。トイヴォネンはデルタS4を愛していたのだ。
ランチアが迎えた次のイベントはツール・ド・コルスだった。トイヴォネンはインフルエンザを患った状態でコルシカ島に到着した。発熱していたにもかかわらず、トイヴォネンはデルタS4を限界までプッシュした。
リードを拡大し、13回目のステージ優勝を手にするべく第18ステージのスターティングラインへ向かう途中、トイヴォネンはあるジャーナリストに対し、コルシカ島の狭隘なコースで獰猛なマシンをコントロールし続けて疲れていると不満げに漏らした。
「まったく正気の沙汰じゃない」 − ツール・ド・コルス序盤、トイヴォネンはある英国人撮影クルーに話していた。「何かトラブルがあれば、間違いなく一巻の終わりだ」
第18ステージ7km地点、トイヴォネンのその不吉な予言は現実となってしまう。トイヴォネンと米国人コ・ドライバーのセルジオ・クレストを乗せたデルタS4はコースを外れてそのまま峡谷へ転落し、出火したマシンの中で彼らは落命した。
私にとって最も勇敢なドライバーはヘンリだ
トイヴォネンはもうこの世にいない。しかし、そのレガシーはこの世から消えることを拒否し続けている。
「マルク・アレンやユハ・カンクネンなど、グループB時代の経験談を聞けるドライバーは他にもいる」とラトバラは語り、次のように締めくくる。
「だが、私にとって最も勇敢なドライバーはヘンリなんだ」

