ストックカーレースは「誰の車が一番速いのか?」というシンプルなテーマから始まった。一説には、密造酒業者(ブートレガーとも呼ばれる、当時法律で禁じられていた酒類を輸送する人々)が警察の追手から逃れるために車を高速化改造するようになると、1933年に禁酒法が撤廃されたあともその改造車ブームが続き、やがて彼らがスリルを求めて自慢の改造車でレースをするようになったと言われている。
今日では、コナー・ジリッシュやシェーン・ヴァン・ギスバーゲン(SVGの愛称で知られる)をはじめとするドライバーたちが企業スポンサーカラーを纏ってレースを戦っている。彼らはヘルメットを着用し、マシンに潜り込み、時速200マイル(約322km/h)にも達するスピードでオーバルコースやロードコースを爆走している。
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NASCAR発足以前のストックカーレース
1930年代後半、ウィリアム・ヘンリー・ゲティ・フランスという若き自動車愛好家は、父親が仕事で留守の間に家族所有のフォード・モデルTをこっそり持ち出していた。そして大恐慌時代にワシントンD.C.からフロリダ州デイトナへ移ったフランスは、ストックカーレースに手を染めるようになった。
1938年になるとフランスはトラックイベントを主催し、自身もレースに参加するようになった。第二次世界大戦によりレース主催はしばらく中断したが、戦後にレースが再開すると、フランスはステアリングを握る代わりに、レースイベント統括に注力する決断を下した。
モータースポーツ殿堂(フロリダ州デイトナビーチにあるモータースポーツをテーマにした博物館)よると、ストックカーレースのプロモーターたちは、賞金を支払う前に持ち逃げしたり、チケット購入者に劣悪なサービスを提供したりする信用ならない連中とみなされていた。しかし、フランスは、自分なら観客・ドライバー双方に対して約束を果たす組織を構築できるはずだという考えのもと、この定評を覆そうとしていた。
このミッションの遂行のために、1947年末にストリームラインホテルで催された会合を経て、National Association for Stock Car Auto Racing(全米自動車競走協会)、通称NASCARが発足。フランスはドライバー40名とチームオーナー、プロモーター、メカニック、ジャーナリストたちをこの会合に招き、ストックカーレースを適法化する基準を打ち出した。
ウェブサイトNASCAR Hall of Fameによれば、フランスは「私たちは、サーキットオーナーやプロモーターにストックカーレースの発展に関心を持ってもらうよう努めなければならない。私たちの関心はひとつ、すなわち、現状の改善です。その答えを握っているのは、今日ここに集まった皆さんです」と語ったとされている。
史上初のNASCAR公式レースは、1948年2月にフロリダ州デイトナビーチ沿岸で開催された。シリーズ優勝を飾ったのは1939年型フォード改をドライブしたレッド・バイロンだった。バイロンはその2年前のレースでフランスを打ち負かしたドライバーでもあった。
1949年、NASCARはストリクトリー・ストック・ディビジョンを立ち上げ、バイロンが同シリーズの初代チャンピオンに輝いた。ストリクトリー・ストック・ディビジョンは、現在のスプリントカップシリーズの前身だ。
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NASCAR黎明期の夢を具現化したデイトナ・インターナショナル・スピードウェイ
フランスはフロリダ州にスーパースピードウェイを建設する必要性を認めると、のちにデイトナ・インターナショナル・スピードウェイとなるサーキットの原案を打ち出した。
建設は1957年にスタートし、1959年には1周2.5マイル(約4km)の高いバンクを擁したサーキットで第1回デイトナ500が開催された。この61時間にも渡るイベントには41,000人を超えるファンが集まり、フランス直々のビデオ判定を経てリー・ペティが栄冠を勝ち取った。
2013年、NASCARは4億ドル(日本円にして約613億9,121万円)もの巨額を投じてデイトナ・ライジングと呼ばれるメイングランドスタンドの改修に乗り出した。フランスは1992年に逝去し、その壮大な夢の実現を目にすることは叶わなかったが、10万1,500席、エレベーター40基、豪華なトラックサイドスイート60室、そして全長1マイル(約1.6km)のメイングランドスタンドなどの数字をフランスはきっと歓迎するに違いない。
デイトナ500はストックレース界で年間最大・最重要かつ最も栄誉あるレースであり続けている。過去のデイトナ500優勝者を見れば、そこにはリチャード・ペティ、マリオ・アンドレッティ、デイル・ジャレット、ジェフ・ゴードン、デイル・アーンハートJr.、デニー・ハムリンなど伝説的なドライバーたちの名前が並ぶ。
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ストックカーレースの歴史を変えた転換点の数々
フロリダ州ジャクソンビルにあるスピードウェイ・パークでウェンデル・スコットがバック・ベイカーを破った1963年12月1日は、NASCARにとって画期的な1日となった。
スコットはNASCAR最上位クラスで優勝した初の黒人ドライバーで、トップ5フィニッシュを20回に渡り記録した。また、第1回デイトナ500開催から18年後、ジャネット・ガスリーがデイトナ500史上初の女性ドライバーとなり、総合12位で完走した。
以来、ストックカーレースはスポーツとして変化しながら進化を続けている。例を挙げると、2001年にデイトナ500で発生したデイル・アーンハートSr.のクラッシュ死亡事故を受け、NASCARはHANSデバイスを義務付けた。HANSデバイスはモータースポーツの安全性向上に大きく寄与し、クラッシュにおける重度の頸部損傷および頭蓋底骨折の発生数を減らした。
同時期、NASCARは鋼鉄プレートと発泡ポリスチレンを組み合わせたSAFERバリア(Steel And Foam Energy Reductionの略称)を導入し、これはソフトウォールという別名でも呼ばれる。
さらに時を経た2013年、ダニカ・パトリックが女性ドライバー史上初となるNASCAR最上位シリーズでのポールポジションを獲得。
翌2014年、NASCARチェアマンのブライアン・フランス(ウィリアム・ヘンリー・ゲティ・フランスの孫)は「チャンピオンシップ4」と銘打ったプレーオフ形式の最終戦を導入してチャンピオンシップフォーマットを変革し、チャンピオン獲得権利を有するドライバー4人のうちホームステッド・マイアミ・レースウェイで最上位フィニッシュしたドライバーがチャンピオンに輝くことになった。
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現代のストックカーレース
2026シーズンに向けてNASCARはさらなる変革を行い、プレーオフ形式からポストシーズンの「ザ・チェイス」方式へ変更し、NASCARが言うところの「シーズンを通じた一貫性」に報いるチャンピオンシップフォーマットとなる。上位フィニッシュを重ねることを重視し、レース勝利が高く評価されるポイントシステムによってシーズンチャンピオンが決定する。2025シーズンのジリッシュはシリーズ2位に終わった。
2026シーズンのNASCARカップシリーズは、第68回を迎えた2月15日のデイトナ500で開幕した。全米を股にかける全36戦のスケジュールを経て、11月8日のホームステッド・マイアミでシリーズチャンピオンが決定する見込みだ。これまで長い歴史を積み重ねてきたNASCARには、今後もさらなる歴史の転換点が訪れるはずだ。
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