Artwork for The Original Skateboarder documentary film.
© Red Bull Media House
スケートボード

スケートボード略史

スケートボードの歴史におけるエポックメイキングな出来事を振り返りながら、このスポーツがどのようにして現在の地位に辿り着いたのかを探っていこう。
Written by Zane Foley
読み終わるまで:11分Updated on
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スケートボードとは何か?

1950年代から今日までにスケートボード数十億ドル規模の産業へと成長を遂げ、ひとつのアートフォームおよびスポーツとして、世界の数百万人の生活にインパクトを与えている。スケートボードはその歴史の中で、独自のミュージアムを開設し、独自の殿堂を築き、独自のストーリーを紡ぎながら、フリーダムカルチャーの中心に特別な地位を確立してきた。
1950年代のカリフォルニアで登場したローンチランプ(キッカー)がスケートボードに火を灯すと、その後のいくつかの時代を経ながら、それぞれの新世代へと受け継がれていった。この数十年で、スケートボードは様々なアイコンたちが脚光を浴びたり、アーバンパフォーマンスの裏舞台を支配したりしながら、経済的繁栄やメインストリームの人気などのアップダウンを経験した。
「スケートボードとは何か?」という問いは、世界中の若い世代と、スケートボードの成長と変遷を見守ってきたOGスケーターたちとの間でバトンが受け渡しされるたびに変容を遂げてきた。

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本記事で、私たちはこの問いに答えを見出そうとしながら、より大きな世界 ― 究極の自由表現ムーブメント、そしてスケートボードの歴史へのディープな考察で構成される世界へプッシュしていくことにする。
スケートボードの歴史をさらに掘り下げていく前に、世界のトップスケートボーダーたちが【KASSO Fest Skate & Sound】の特設コースに挑む動画をチェック!
02

起源はダウンヒルにあり

スケートボードの起源は、宇宙の起源と同じくらい曖昧だ。最初のスケートボードが誰によって、どのような形で、どこで登場したかについては、スケートボード歴史家を自認する人たちによる指摘が無数に存在するが、スケートボードの起源が米国にあり、最初は木箱の裏側にローラーダービー用のスケートを取り付けたものだったというのが、ほぼ一致した見解だ。
当時と同じアルミニウム製

当時と同じアルミニウム製

© Tobias Strauss

最初期のモデルは現代のキックスケーターのようにハンドルバーを備えていたが、やがて木箱は木板(プランク)に取って代わられ、ハンドルバーが取り外されてサーフィンに近いライドフィールへ変化した。
このようなスクーターボックスは1800年代後半にはすでに存在していたが、クレイウィール(編注:粘土、紙、プラスチック、ナッツの殻、接着剤などを圧縮して作られたウィール)を備えた木製パレットが南カリフォルニアのダウンヒルで普及したのは、1950年代になってからだった。
ポルトガルで撮影された1枚

ポルトガルで撮影された1枚

© Tobias Strauss

1959年に市販スケートボードが登場するまで、スケートを楽しむにはボードを自作するしかなかった。このような自家製スケートボードが、今日のスケートボードに深く根差すDIY的メンタリティのルーツとなった。
スケートボードは産業から生まれたのではなく、自己表現を求める強い欲求から、素朴かつ美しい形で産声を上げたのだ。このシンプルだが深遠な真実を理解することが、「スケートボードとは何か?」という問い、そして究極的には「スケートボーダーであること」の意味を垣間見るための第一歩となる。
ジョン・グッドリッチが1970年代に撮影したクラシックフォト

ジョン・グッドリッチが1970年代に撮影したクラシックフォト

© Jim Goodrich

03

史上初のスケートボードコンテスト

スケートボードが発祥した1950年代あるいはドッグタウンの1970年代を現代の私たちが想像するのは難しい。
スケートボードがその誕生からどれほど変化したかを想像するのはさらに難しいはずだ。1960年代初頭、HobieMakahaをはじめとするスケートボードメーカーは、スケートボードを「サイドウォーク・サーフィン」の代替、あるいは波がない日のサーフィンの代替手段として宣伝し始めた。
1963年になると、Makahaが史上初のプロスケートボードチームを結成し、同年後半にはカリフォルニア州ハモサで開催された史上初のスケートボードコンペにエントリーした。
1960年代初頭のダウンヒルコンペの面影は、サンフランシスコで行われている極めて危険なヒルボムという形で現在も残っているが、ハモサのコンペで見られたフリースタイルコンペやトリックの大半は、現代のスケートボードにとって遠い記憶となっている。
ジミー・プルーマー:バックサイド・ウィーラー

ジミー・プルーマー:バックサイド・ウィーラー

© Glen E. Friedman

アメリカンスポーツにおいて新奇な存在だったスケートボードだが、その人気は1965年までに失墜した。
世間はスケートボードコンペよりもローラーダービーコンペを好んで観戦していた。また、メディアはスケートボードを危険なアクティビティとして喧伝するようになり、クレイウィールやハンドスタンドは、何時間も連続してフラフープをする人を見ているのと同じくらい退屈なものになっていった。
スケートボードが絶滅寸前まで追い詰められた経緯を理解することは、突き詰めれば、スケートボードの黎明期のスタイルが現代ではすっかり見られなくなった理由を理解することに繋がる。しかし、より重要なのは、往時と現在のスケートボードの立ち位置を比較すると、20世紀から21世紀にかけてのスケートボードにおける最も大きな変革のひとつが見えてくるということだ。
04

ウレタンウィールとスケートパークの登場

「車輪の再発明」という言葉は、無駄な努力の比喩として用いられるが、ここでは比喩ではなく文字通りの意味だ。
ウレタン製ウィールの発明は画期的だった

ウレタン製ウィールの発明は画期的だった

© OJ Wheels

スケートボードのウィールは、1973年ウレタン製ウィールを導入したフランク・ナスワーシーによって “再発明” された。1950年代〜1960年代の武骨な粘土製クレイウィールに代わるこの新ウィールは、まるで芝生の上のスパイクのように、アスファルトやプールウォールをしっかりとグリップした。
ウレタンウィールの登場と並行して、キックテール(高くカーブしたスケートボードの後端部分)が考案されたことで、プロフェッショナルスケートボードが新たに定義された。
スケートボードの新たな熱狂が世界中に伝播し始める中、ローカルのサーフショップで販売されていたスケートボード雑誌は、販路拡大のチャンスを手にし、ウレタンウィールの登場からわずか3年後の1976年には、フロリダに初のスケートパークが誕生した。
1970年代末までに、スケートパークは北米・南米のあらゆる場所に作られ、ほどなくヨーロッパやアジア各地にも登場した。1970年代におけるスケートボードがメインストリームカルチャーへ躍進していったストーリーは、2005年の映画『ロード・オブ・ドッグタウン』によって広く知られるようになった。
この作品でも確認できる通り、1975年、トニー・アルバ率いるスケートチームZephyrは、カリフォルニア州デル・マーで開催されたオーシャンフェスティバルでスケートボードの可能性を世界に示した。この瞬間は、スケートボードの歴史はもちろん、その後数十年間に渡りスケートボードコンペで起きていく大きな変化の礎となった。
ところが、1980年代が近づく頃、スケートボードはまたも絶滅の危機に立たされる。スケートボードとは無関係の胡散くさい企業が詐欺めいた契約でコンペに入り込むようになり、コンペが乱立して飽和状態になると、スケートボードの人気は衰退。
水を抜いたバックヤードプールにたむろして自由を求める閉鎖的なグループだけが残り、“怪我をしやすい” というスケートボード特有の性質から保険料が高騰し、スケートパークはもはや建設されなくなった。
このようにして、南カリフォルニアの親たちや次の一過性ブームを求める企業から受け入れられなくなったスケートボードは、反体制カルチャーや1980年代に広がったパンクシーンの代名詞となった。
05

トニー・ホークが成し遂げたエポックとストリートスケートボードの台頭

Zephyr Skateboardsが1975年のデル・マーでスケートボードシーンにもたらしたようなエポックは、トニー・ホークが1999年のX-Gamesで900をメイクするまで再び見られることはなかった。1999年6月27日、Summer X-Gamesに出場したホークは、バーチカルランプへの11回目のドロップインでスケートボード史上最も有名なトリックメイクに成功。
当時、ホークのこの2回転半がスケートボードの新たなる人気のきっかけとなることを予見できたスケートボーダーは誰もいなかった。しかし、ホークが再びプロスケートボードを名実共にメインストリームのスポットライトに持ち込む前の1980年代から1990年代初頭にかけて、スケートボードはすでに大きな変貌を遂げていた。
トニー・ホーク:インディーエア

トニー・ホーク:インディーエア

© Red Bull Media House

トニー・ホークの900の重要性は、スケートボーダーもスケートボードをしない人も揃って認めるところだろう。だが、スケートボードをしない人の大半は、1980年代と1990年代がスケートボードにとってどれほど重要だったのかをまったく理解していない。
この時代の社会の落ちこぼれたちによってストリートスケートボードが生み出されたのだ。1980年代と1990年代はストリートスケートボードの青写真が用意された時代で、スケートボードメディアで私たちが知るようになるあらゆるものが、シーンでそれぞれの地位を確立した。
スティーブ・トンプソン:バスタードプラント

スティーブ・トンプソン:バスタードプラント

© Rich West

エア系トリックのために新たにデザインされたスケートボードのおかげで1978年にカート・リングレンキックフリップを考案すると、1980年代までにロドニー・ミューレン複数のフリップ系トリックを考案した。
ストリートライダーの第一世代だったナタス・カウパスマーク・“ザ・ゴンズ”・ゴンザレスがハンドレールをボードスライドして、スケートボードのレベルを再び引き上げると、スケートボードの舞台はランプビルダーのバックヤードから赤い縁石だらけのスーパーマーケットの駐車場へと変化していった。
マーク・ゴンザレス:ボンレス

マーク・ゴンザレス:ボンレス

© Niall Neeson

メインストリームメディアがスケートボードを意図的に無視していた中、スケートボーダーたちは自分たちのレンズを通して自分たちのカルチャーを記録するチャンスを得た。これにより、スケートボーダーたちは独自のメディアカルチャーを発信できるようになり、1960年代後半と1980年代初頭にスケートボード人気が二度も失墜した根本的原因を打破することができた。
ジェフ・グロッソ&ジョン・ルセロ

ジェフ・グロッソ&ジョン・ルセロ

© RBMH

スケートボーダーたちがスケートカルチャーのプロダクションを完全に掌握したことで、1993年から2006年にかけてストリートスケートボードの黄金時代が訪れた。
この時代には、Shorty'sチャド・マスカが台頭するとともに、Girl Skateboardsによる『Mouse』や『Yeah Right!』などのビデオ作品、FLIP Skateboardsのような著名なインターナショナルスケートチーム、有名なLOVE Park時代、そしてビデオゲーム『トニー・ホーク プロ・スケーター』シリーズなどが登場し、スケートパークは公共公園計画と同じ意味を持つようになった。
06

世界中に拡大するスケートボードカルチャー

ホーク時代のあと、スケートボードが進化するにつれてスケートボードと社会との関わりも変化した。プロスケートボーダーの定義がコンペランからビデオパートへシフトしていくと、スケートボードはストリートに深く根を下ろし、そのメインストリームカルチャーは斬新なエンターテインメントを模索するようになった。
バム・マージェラは、リアリティ番組『Viva La Bam』でプロスケートボーダーのキャリアをパロディ化。企業群の参入に合わせて、スケートボードはさらなる認知度を獲得し、トッププロたちは高額の報酬を得るようになった。

18分

第1話: バム・マージェラ

第1話あらすじ: マダース・アプスが、スケートボードシーンのアイコンのひとりに数えられるバム・バージェラが住む米国・ペンシルベニア州を訪れる。バージェラの所有する施設やランプにも足を運び、レジェンドの環境を贅沢に堪能する。【マダース・アプスと世界のスケートボーダーたちが織りなすディープな旅物語(全6話/日本語字幕)】

日本語 +5

今、スケートボードは一過性のブームから現代において最も文化的影響力のあるボードスポーツへと、さらなる飛躍的進歩を遂げている。2020年の東京でスケートボードが世界最大のスポーツの舞台に上がったことは、このスポーツへの世界的な関心をあらためて高め、2024年パリの予選を担ったWorld Skateboarding Tourの創設にも繋がった。
World Skateboarding Tourの各開催地(アルゼンチン、イタリア、UAE、スイス、日本を含む)では、パリの大舞台に立ってスーパースターになるチャンスを掴むために、世界50カ国以上から集まったスケーターたちが、重要なランキングポイントを競い合った。
ロル・ブルヘマン:ボードスライド

ロル・ブルヘマン:ボードスライド

© Luis Gallo

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スケートボードはライフスタイルだ。トップライダーのマダース・アプスが日本を含む世界各地を巡り、独自のやり方で自国のスケートボードカルチャーをプッシュしているローカルライダーたちと交流を深める。(日本語字幕)

4 シーズン · エピソード21
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