F1での4シーズンで、角田裕毅はルーキードライバーから経験豊かなドライバーへ成長を遂げた。
角田は、スクーデリア・トロ・ロッソ、アルファタウリ、そしてビザ・キャッシュアップ・レーシングブルズへと変遷していったレッドブル・レーシングのセカンドチームで順調に進化を重ねていった。そしてこの24歳の日本人ドライバーとともにチームのアイデンティティと自信が確立された今、どちらも新たな時代を迎えようとしている。
先日、角田はセカンドチームからトップチームのオラクル・レッドブル・レーシングへ昇格した。オラクル・レッドブル・レーシングが角田に期待しているのは、チームに7回目のコンストラクターズタイトルをもたらすことだ。
神奈川県相模原市出身の角田は、2025シーズン第3戦日本GPからワールドチャンピオンを4回獲得しているマックス・フェルスタッペンとガレージをシェアする。
現時点で、ワールドチャンピオンと同等の走りを角田に期待している人はいない。しかし、チームは角田が表彰台レギュラーとなり、コンストラクターズポイントを大量に獲得しつつ、マックスのタイトル獲得をアシストすることを期待している。
この "期待" はモータースポーツシーン最大であり、すでに才能溢れるドライバー6名が自分たちには大きすぎることを身を以て示してきた。では、角田はオラクル・レッドブル・レーシングRB21を手懐けて結果を出せるだろうか? 角田のこれまでの道のりを振り返ってみよう。
01
キャリアのはじまり
角田のレッドブル・レーシングとの旅が鈴鹿から始まるのは偶然だが、これ以上相応しいスタートはないように思える。なぜなら、三重県に位置するこのレジェンドサーキットと彼の関係は非常に深く長いからだ。今から17年前、7歳の角田が日本GPを初観戦したのがこのサーキットであり、ティーンエイジャーの彼がドライバースキルを身に付けたのもこのサーキットだった。
父親によって4歳の頃から定期的にカートへ連れ出されていた角田は、F1観戦でレースに興味を持つと、9歳からカートレースへの参戦をスタートさせた。
そして16歳になった角田は鈴鹿へ戻り、鈴鹿サーキットレーシングスクール(現ホンダレーシングスクール鈴鹿)のフォーミュラ部門へ入校してトップドライバーとして活躍できるチャンスを掴むが、そう簡単には進まなかった。自分より年長でF4での経験も豊富な国内ドライバーたちを相手にしなければならなかったのだ。
「成功できるかどうかまったく分かりませんでした」と振り返っている角田だが、鈴鹿サーキットレーシングスクールのスカラシップ選考会を万全の状態で迎えていた。角田はシーズンを通じて好結果を残しており、スポット参戦したFIA F4選手権でも2位に入っていた。
「僕には力がある。もしこの場で結果を出せなかったり、僕の走りで審査員の方を魅了できないんだったら、その先だって知れている。だからダメならレース人生を諦める覚悟で臨んでいた。落選しても他の育成プログラムだったり、フォーミュラ以外のレースで走ることだったり、いろんな道があったと思うけど、自分が目指す方向じゃないのは好きじゃない。中途半端でやるより、違う人生を歩むと決めていた」*
02
失敗とセカンドチャンス
しかし、最悪の事態が待っていた。
「レース前から緊張して身体が硬くなっているのが分かった。ステアリングを握る指先もこわばっている」*
このように振り返る角田はスタートに失敗し、ドライブスルーペナルティを受けてしまった。「自分が情けなくて、もう走ることへの感情すら湧いてこなかった」*
結局、角田は3位でフィニッシュし、選考に落選して最高峰で走る夢が潰えてしまった。
「帰りの電車の中で、悔しくて自然と涙があふれ出た。本格的にレースを始めてから、そんなことは初めてだった。参加者の中で最年少だけど、負けない自信があったのでとにかくショックだったし、これから先のことを考えようとしても何もイメージできない」*
しかし、本人の知らないところで、ひとりの審査員が角田に興味を持っていた。中嶋悟だ。中島は角田に鈴鹿レーシングスクールのシートを推薦した。最高のマシンは用意されず、フルサポートも得られないシートだったが、角田はF4で走るチャンスを得た。
そしてすぐに角田はスピードを示し、2017年を総合3位でフィニッシュ。この結果が評価されてホンダ・フォーミュラ・ドリーム・プロジェクトの育成ドライバーに選ばれると、翌シーズンは年間チャンピオンに輝いた。
一番変わったことは、それはやっぱりメンタルだと思う
03
渡欧 / レッドブル・ジュニアチーム加入
角田は誰の目から見ても素晴らしい急成長を遂げた。2019年、角田はレッドブル・ジュニアチームのシートを獲得すると、新たに立ち上げられたFIA フォーミュラ3選手権にイェンツァー・モータースポーツから参戦。同年のモンツァで開催されたフィーチャーレースで優勝すると、総合9位を記録した。
そして、その後すぐにFIA フォーミュラ2選手権へ昇格すると、今度はセバスチャン・ベッテル、ダニエル・リカルド、カルロス・サインツ、ランド・ノリス、ジョージ・ラッセルをF1へ送り込んだ名門カーリン・モータースポーツから参戦。
角田はルーキーながらシルバーストン、スパ、バーレーンで優勝する活躍を見せると、総合3位でシーズンを終え、F1昇格の権利とスクーデリア・アルファタウリのシートを手に入れた。
04
F1デビュー
2021シーズンにF1デビューを迎えた角田はアンストッパブルだった。F2時代の勢いを維持できていた角田は、デビュー戦バーレーンGPの予選Q1でいきなり好タイムを記録したあと、決勝でも9位に入りポイントを獲得した。
ミハエル・シューマッハのフェラーリ時代を支え、のちに自らブラウンGPを立ち上げてダブルタイトルを獲得したF1シーンの重鎮ロス・ブラウンは、すぐに角田のファンになった。
「角田裕毅には大いに感銘を受けています。彼は観ていて楽しく、ドライビングには甘美な響きがあります。レースでは見事な走りをいくつか見せてくれました。F1デビュー戦であることを踏まえると、前途は明るいでしょう。ここしばらくのF1ルーキーの中ではベストですね」
05
F1のプレッシャー
F1での角田はまずピエール・ガスリーと強力なコンビを組んだ。この人に好かれる性格のフランス人は角田の兄的存在となり、角田は彼から多くを学んでいった。しかし、当時の角田は一貫性に欠けていた。トップ10フィニッシュを数回記録したが、ミスもかなり多く見られた。また、フラストレーションが爆発すると性格が短気と評価された。
しかし、このような評価は見当違いとも言えた。F1のプレッシャーの中で若いなりになんとかやろうとしていただけだったのだ。また、レース中の無線での激しいやり取りは彼の評価を高める助けにはならなかったが、ファンの間でカルト的人気を獲得する助けにはなった。
また、角田はパドック内でもファンを獲得していった。アルファタウリのチームプリンシパルのフランツ・トストは、F1昇格前の角田はF3とF2をそれぞれ1シーズンずつ戦っただけだとし、この若き日本人ドライバーを支持し続けた。
ベッテルとリカルドをF1のトップレベルまで引き上げた経験を持つトストは、自分の感覚に確信を持っていた。そこで、リザーブ兼テストドライバーとしてF1に残りながらDTMを転戦していたアレックス・アルボンを角田のメンターとして呼び、落ち着きと心優しいアドバイスを提供してもらった。
アルボン、ガスリー、トスト、ヘルムート・マルコ、中嶋悟はそれぞれ角田を正しい方向へ導いたが、本人はかつての "涙の帰り道" で自分のメンタルを鍛える必要があることをすでに理解していた。
「一番変わったことは、それはやっぱりメンタルだと思う。挫折を味わうまでの僕は成績が出ていたこともあって、何もしなくても最終的には上手くいくだろう、みたいな感じがあった」*
「最終選考会で失敗したスタートだって、もともとスタートが得意ではないとわかっていたし、その前に練習する時間もあったのに、しなかった。どこか甘い気持ち、過信があった。それに当時はミスをすることを恐れて、ミスをしないような走りを続けていたので、さらに成長する方法がわからなくなっていた」*
このように振り返る角田だが成長を遂げ、2021シーズンのアブダビGPではキャリアベストとなる4位に入り、翌シーズンをまたF1で迎えることになった。
06
もうひとつの夢
新しいフォーミュラとチームに慣れるだけでも難しいが、角田の場合は、そこに新しい国での生活に慣れることも加わった。結果、角田はプライベートな時間の多くをビデオゲームとフードデリバリーに費やしていることに気が付いた。
そこで、元々ジム通いが好きではなかった角田は何か趣味を持とうとし、パドック随一の食通であることを活かして料理の腕前を上げた。現在は、F1での活動が終わったあとにはレストランを開きたいとさえ発言している。
「計画については少しだけ話せますけれど、まだ秘密なので詳しくは話せません。基本的には日本食がベースになりますが、F1ドライバーとして僕は色々な国を訪れているので、それぞれの国で食べた料理の良いところを抜き出して、日本食とのフュージョンにしたいと思っています」
07
急成長
F1初優勝を記録したあとアルピーヌへ移籍したガスリーは、弟分に激励の言葉を残した。
「裕毅がチームの中でどんどん成長していく姿を見ることができたので、この2年はとても楽しかったです。裕毅がチームをリードできる立場になれるかどうかは、時間が教えてくれるでしょう」
「もちろん、今シーズンの裕毅は大きく成長しました。ですので、来シーズンに彼がさらなる成長を見せても私は驚かないと思います。裕毅は自分の課題を分かっていると思います。それはセルフコントロールです。彼は周囲の人間に恵まれていますし、今の環境はより良いドライバーへの成長に役立つでしょう」
シーズン終了後は心身ともに疲れ切っていましたが、全力を尽くしたのでかなり満足できていました
角田本人も、自分がレベルアップしてチームのために一貫して結果を出す必要があることを理解していた。
「すべてのラップで100%を出すのは簡単ではありませんし、2022シーズンを振り返ると、マシンのパフォーマンスがいまいちだったレースでは特にですが、いくつかのレースでモチベーションが少し下がってしまっていました。あの感覚は嫌だったので、2023シーズンは毎回全力を出そうと思いました」
「そうするのは簡単ではなく、シーズン終了後は心身ともに疲れ切っていましたが、全力を尽くしたのでかなり満足できていました」
08
激情のコントロール
角田は中団争いの中で大量ポイントを獲得するために全力を尽くしたが、F1で成功を収めるための不文律は、「まずはチームメイトに勝利する」だ。そして彼はこの条件を見事にクリアし、ニック・デ・フリースを上回ったあと、レースウィナーの経験があるリカルド、さらにはリアム・ローソンを上回った。
この頃の角田は感情のコントロール方法を学んでいた。しかし、激情の炎は彼の中に残っていた。2024シーズン開幕戦バーレーンGPで、リカルドのために下がれと伝えられた角田は激高し、無線で悪態をついたあと危険なドライビングでリカルドのマシンへ寄せていった。
このインシデントにより、メディアは角田の能力と性格を再び疑問視したが、本人は最高の形でその疑問を振り払った。レースで結果を出したのだ。
「自分の感情をコントロールすることが成功に繋がると考えたことはありません。生来の性格なのです。僕は最初にサーキット上のストレスを解消してからレースに集中しようとしています。ですが、もちろん、バランスを取る必要があります」
「2024シーズンのバーレーンGPでのダニエルとのインシデントのあと、自分のアプローチを変える必要がありました。そうしなければ、F1に残れなかったでしょう。メンタルはかなりハードに取り組んだ部分のひとつです。自分のマインドセットを変えて、より真剣に取り組めるようになりました」
09
才能の成熟
続く3戦(サウジアラビアGP / オーストラリアGP / 日本GP)で、角田は予選Q3まで進出した。また、決勝レースの彼からは実にレッドブルのドライバーらしいコミットメントと知性が感じられた。オーストラリアGPでの角田は、8番グリッドからスタートすると7位でフィニッシュし、日本GPではホームGPで12年ぶりにポイントを獲得した日本人ドライバーとなった。
「世間のイメージを覆すのは楽しいですね」と角田は英国のテレビ局とのインタビューで語った。「自信は十分ありますし、予選に向けたマシンの準備も段階的に良くなってきています」
角田にはさらなる好結果が待っていた。2024シーズンはブラジルGPでのフェルスタッペンがF1史上屈指のドライビングとして多くの人の印象に残っているが、雨となったこのグランプリの予選で角田が3位に入り、決勝でも7位に入ったことは見逃されたがちだ。
同シーズンの角田は自己ベストとなる総合12位でフィニッシュし、チームプリンシパルのローラン・メキースは、角田のシーズンを次のようにまとめた。
「裕毅にとっては素晴らしいシーズンでした。誰も予想できませんでしたが、今シーズンの彼はステップアップしていました。本人は誇りに思うべきです」
10
歴代日本人F1ドライバーとの比較
角田は2025シーズン第3戦日本GPでオラクル・レッドブル・レーシングデビューを飾る。鈴鹿サーキットには熱狂的なファンが集まることで知られているが、角田がトップチームから出走する初の日本人ドライバーになるため、彼らの興奮はいつも以上に高まるはずだ。
鈴鹿GPで角田のレーススタート数は佐藤琢磨と並ぶ90となり、順調に進めばモナコGPで歴代首位(94)の片山右京を上回ることになる。獲得ポイントはすでに角田が歴代1位となっている。また、日本GPでの達成は誰も期待していないが、3位に入った時点で鈴木亜久里、佐藤琢磨、小林可夢偉に並ぶ日本人歴代最高位記録に並ぶ。
現時点での角田のキャリア最高位は4位だが、鈴鹿で3位に入れば、1990シーズンの鈴木亜久里と2012シーズンの小林可夢偉と同じ場所に立つことになる。
11
ヒーローの凱旋
開幕戦オーストラリアGPで予選5位に入り、第2戦中国GPではスプリント6位に入った角田は、好調を維持した状態でオラクル・レッドブル・レーシングに加入した。鈴鹿サーキットでのトップチームデビューの準備は整っているようだ。
レーシングブルズのチームプリンシパル、ローラン・メキースは次のように祝福のコメントを送っている。
「裕毅が実力に相応しいオラクル・レッドブル・レーシングへの昇格を勝ち取ったことを私たちは非常に誇りに思っています。昨シーズンの彼の成長と2025シーズン開幕以降の活躍は目を見張るものでした」
「個人としても、チームとしても、彼の成長を見守ることができたことは、私を含むファエンツァとミルトン・キーンズの全員にとって非常に大きな栄誉でした。裕毅のエナジーとポジティブさは、ファクトリーとガレージを隅々まで明るくしてくれましたし、彼はこれからもレーシングブルであり続けます! オラクル・レッドブル・レーシングでの彼に相応しい成功を祈っています」
角田本人は次のようにコメントしている。
「僕の究極の目標は、レーシングドライバーとして歴史に名を残すことです。ワールドチャンピオンになり、ワールドチャンピオンの記録を更新し、自分の限界をプッシュし続けていきたいです。レーサーとして皆さんの記憶に残りたいです」
そして、角田の新たなボスとなるクリスチャン・ホーナーは次のようにコメントしている。
「裕毅の経験は現行マシンの開発において大いに役立つはずです。私たちは裕毅を喜んで迎えるとともに、彼がRB21のステアリングを握ることを楽しみにしています」
中国GPから日本GPまでの短い時間の中で、角田はシミュレーターでの作業と東京・お台場でのショーランへの参加で忙しくしている。彼がトリッキーと評価されているRB21を手懐けることができるかどうかは時間が教えてくれるだろう。しかし、角田は、すべての機会で進化と成長を重ねてレベルアップしていく意志をそのキャリアを通じて証明してきた。
前菜は終わった。角田はメインディッシュを食べる準備ができている。
*引用元:The Players’ Tribune
▶︎RedBull.comでは世界から発信される記事を毎週更新中! トップページからチェック!